旅人 -湯川秀樹自伝- /湯川秀樹 [ 本の部屋]
「十月初めのある晩、私はふと思いあたった。核力は、非常に短い到達距離しか持っていない。それは、十兆分の二センチ程度である。このことは前からわかっていた。私の気づいたことは、この到達距離と、核力に付随する新粒子の質量とは、たがいに逆比例するだろうということである。こんなことに、私は今までどうして気づかなかったのだろう。」
湯川秀樹の自伝「旅人」は、この新粒子の着想を得た場面から、21行で終わっている。その終わり方は、唐突にも思え「これから...」といった思いを抱かせるが、ここで終わるのが湯川秀樹...ということが、それまでの数千行を読む間に、十分こちらも分かっている。
純粋な文学少年であった彼の生み出す、分かりやすく、瑞々しさを感じさせる文章は、分筆を生業とする人たちの物と違い、気取りがなく、ハッとするような表現がされていたりする。
例えばこのように、「明治ーーーーー。その名は私に、アルコール・ランプの上に置かれたフラスコの水が、次第に熱せられて、沸騰していく過程を思わせる。」
物理の有り様を、納得するために続けられた思考は、文章の世界においてもそれを物語っている。
量子力学や素粒子についても分かりやすく語られていて、こういった方面の理解の手助けをしてくれる。
しかし、やはり、いろいろな矛盾を抱え、迷いを持ちながら、生きていく姿を読むと、人生に壁を感じている人々に勇気も与えてくれる本でもあると思う。
「旅人」というタイトルについて触れてはいない。触れていなくても、それが人生を行く様を意味していることは、良くわかる。
■湯川秀樹略歴
1907年 - (0歳) 東京に生まれる。
1908年 - (1歳) 父小川琢治の京都帝国大学教授就任に伴い、一家で京都に移住。
1919年 - (12歳) 京極尋常小学校卒業。
1923年 - (16歳) 京都府立第一中学校卒業。
1926年 - (19歳) 第三高等学校卒業。
1929年 - (22歳) 京都帝国大学理学部卒業。同大学玉城嘉十郎研究室の副手となる。
1932年 - (25歳) 湯川家の婿養子となり、小川から湯川となる。京都帝国大学講師。
1933年 - (26歳) 大阪帝国大学講師兼担。
1935年 - (28歳) 論文:「素粒子の相互作用について」で中間子理論を発表
1936年 - (29歳) 大阪帝国大学助教授
1939年 - (32歳) 京都帝国大学教授
1940年 - (33歳) 学士院賞受賞
1943年 - (36歳) 史上最年少で文化勲章受章
1948年 - (41歳) プリンストン高等学術研究所客員教授
1949年 - (42歳) ノーベル物理学賞受賞(日本人初)。コロンビア大学客員教授
1953年 - (46歳) 京都大学基礎物理学研究所初代所長
1962年 - (55歳) 第1回科学者京都会議を開催
1970年 - (63歳) 京都大学退官、京都大学名誉教授
1981年 - (74歳) 逝去
#本の部屋
hakoさん、niceをありがとうございます。
by room7 (2006-11-29 17:52)
銀鏡反応さん、nice!をありがとうございます。
by room7 (2008-10-24 09:13)