ミケランジェロ/天才は不幸のはじまり? [ アートの部屋]
「天才なるものを信じない人、天才とはどんなものかを知らない人は、ミケランジェロを見るがいい。彼ほどそれの餌食となったものはかつてない。この天才力と彼の人柄とは同質ではないかにみえる。それは彼に襲いかかって屈服させてしまった征服者なのであった。それに対しては彼の意志もどうにもできなかった。彼の精神力も彼の心情もどうにもならなかったとさえ言えよう。これは熱狂的な激昂であり、それを支え保つにしてはあまりに弱すぎる肉体と魂のなかに巣喰う恐ろしい生命であった。」
これは、岩波文庫から出ているロマン・ロラン著「ミケランジェロの生涯」の冒頭の一説です。この部分を読んだだけでも、ミケランジェロの波乱に満ちた人生を予感させます。そして、豊かな才能というものが、その人にとって、決して良い方向ばかりに働くのではなく、悪い方向にも働くということが分かります。
誰も信じることができず、人間社会から隔離され、愛したけれども、愛されることはなく、自分の意志通りの行動を許されず、まともな食事も睡眠もなく、自分自身を嫌悪し....そして、作品だけが残った。
ミケランジェロは、1475年3月6日、カセンティーノ地方のカプレーゼで、市長の息子として、5人兄弟の次男として生まれた。
13歳の時に、父親の反対を押し切り、当時フィレンツェ最大の画家ドメニコ・ギルランダイヨの工房に入門したが、最初の作品で高い評価を受けてしまい、師匠の嫉妬もあり、1年後には分かれてしまう。
絵画が嫌になり、ロレンツォ・ディ・メディチが開いた彫刻学校に入ったことで、ロレンツォの興味を引き、彼の息子たちと一緒に館で生活することになった。ここで、フィレンツェの中心に身を置き、古代蒐集品にとり巻かれプラトン学者と交わることでギリシャ彫刻的作品「ケンタウルとラピタイ人の闘い」を作っている。
1490年、僧侶サヴォナローラの予言とフランスの侵攻を恐れ、ウ゛ェネツェア、ボローニャに逃げてしまう。
1495年、フィレンツェに戻り「眠れるキューピット」を彫刻し、ローマへ行くき、「酔えるバッカス」「アドニスの死」を彫刻。そして最初の「ピエタ」を彫刻する。その後、彼は休むことを許されることなく、作り続けることになる。
1501年、フィレンツェで「ダヴィデ」。
1504年、フィレンツェ政庁の会議室の装飾で、レオナルド・ダ・ヴィンチと競っていたが、この時の下絵は、2つとも消失している。
1505年、ジュリオ2世にローマに呼ばれ、巨大な霊廟の製作を依頼されが、途中で法王が興味を失ってしまう。
1507年、ジュリオ2世は、ボローニャに巨大な青銅鋳造像を依頼。専任の鋳造技師の技術不足で失敗しながら、1508年完成したが、1511年に破壊される。
1508年、ジュリオ2世は、システィーナ礼拝堂の天井画を依頼。1512年に完成している。
1513年に、ジュリオ2世が死んだので、フィレンツェに帰り、ジュリオ2世廟(32の巨像を含む)の製作を再開。この時期に「モーゼ」と2つの「俘囚」を作っている。
1515年、新法王レオ10世(メディチ家、ミケランジェロの幼なじみ)は、フィレンツェのメディチ家のサン・ロレンツォ寺院の玄関を依頼。石の切り出しから管理することになり、工事は遅れる。1520年、解除される。不毛の時代。
1520年、後のクレメンテ7世、ジュリオ・ディ・メディチの依頼で、メディチ家礼拝堂と霊廟の製作にかかるが、ジュリオ2世廟との並存に悩み、給料を断り仕事を放棄してしまう。
クレメンテ7世は、仕事の軽減の代わりに「巨像」を注文。この時期も不毛の時代となる。
1527年、フィレンツェでの共和主義革命に参加。遁走するが、やがて闘いに参加。1930年、フィレンツェ陥落。精神的発作状態から病気になる。
勝者クレメンテ7世の庇護をうけ、ジュリオ2世廟とメディチ家礼拝堂の仕事を続ける。
1534年、クレメンテ7世死去。メディチ家礼拝堂は、完成することなく終わりとなる(未完の像7体)。
1534年、ローマへ。1535年、ウ゛ィットリア・コロンナと出会いプラトニックな関係となる。
1536年、パウロ3世に、「最後の審判」を依頼される。心ならずも、法王庁建築・彫刻・絵画主任となる。1539年、「最後の審判」製作中、足場から落ちて重傷。1541年、「最後の審判」除幕式。
1541年、パウロ3世、パオリーナ礼拝堂の壁画を依頼。1550年に完成。
ミケランジェロは、ジュリオ2世廟完成のため彫刻家を雇い、3つの像(「モーゼ」「働く生命」「瞑想する生命」)を引き渡し、規模の縮小(32体から3体)した長い(約40年)依頼から解放される。1545年完成。
1547年、パウロ3世により、サン・ピエトロ寺院の建設長官兼建築士に任命される。この時71歳。彼は、神への義務感から引き受ける。激しい反対派の攻撃を受けながら工事を続ける。
他に、カピトーレ(17世紀に完成)、サンタ・マリア・デリ.アンジェリ寺院(18世紀に再建されてしまった)、フィレンツェのローレンツィアナの階段、ピア門などの建設に関わっていた。
1564年2月、「ピエタ(ロンダニーニの)」を製作中、病気となり、亡くなる。
こうして権力によって支配され続けた彼の一生は終わる。88歳。
しかし、不幸であった彼が作り出したものから、不幸を感じることはありません。そこには、どんな状況にあっても、自分の世界に対して誇りをもち続けた、人間の強い意志を感じることができます。だから、自由になれない私たちは、彼の彫刻に共感し、励まされるのかもしれません。
■書籍等
ルネサンス時空の旅人 永遠の都ローマ ミケランジェロ・魂の遺産
- 出版社/メーカー: バップ
- 発売日: 2004/11/25
- メディア: DVD
takagakiさん、nice! をありがとうございます。
by room7 (2009-09-29 19:56)