ジャン・コクトーの誕生日 [ アートの部屋]
今日は、ジャン・コクトーの誕生日。生きていれば116才。
初めて出会ったのは、あの一筆書きのような顔。あの簡略化された、それでいて的確な絵にまいった。似たようなスタイルは、その後たくさん見るけれど、やっぱり何か違う。何が...と考えるが...それは、才能。
その後、絵本!「阿片」、小説「恐るべき子どもたち(Les Enfants Terribles は、使い回された表現となっている)、そして映画「美女と野獣」「オルフェ」「オルフェの遺言」...表現手法の多様さと高度な内容に、"才能"という言葉の意味を知る。
フランスで詩人といったら、ジャン・コクトーを意味すると聞いたことがある。今はどうなのか知らない。
ジャン・コクトー Jean Cocteau [1889年7月5日〜1963年10月11日]
1889年、フランスのパリ郊外の町、メゾン・ラフィットで3人兄弟の末っ子として生まれる。
1898年、父ジョルジュがピストル自殺。
中学校時代の同級生、ピエール・ダルジュロスが、小説『恐るべき子供たち』のモデルといわれている。
高校生時代、文学に関心を持ち、マルセル・プルーストらと出会う。
大学受験に失敗。
1909年、自費にて最初の詩集『アラディアのランプ』を発表。
ロシア・バレエ団を率いるディアギレフに出会う。
1911年、イゴール・ストラヴィンスキーに出会う。
1915年、アメディオ・モディリアーニ等、モンパルナスの画家と交流。
エリック・サティやピカソ出会う。
1917年、ディアギレフの要求に対して、音楽サティ、舞台装置ピカソといった顔ぶれで、バレエ「パラード」を発表。物議をかもし、ディアギレフに認められる。
1918年、六人組と呼ばれる作曲家達のコンサートを開く。
1920年、ダダと対立。
1926年、シュルレアリストと対立。
1929年、ココ・シャネルによって阿片の療養所に助け出され、小説『恐るべき子供たち』を執筆。
1930年、『詩人の血』を初監督。
1934年、演劇『地獄の機械』初演。
1940年、エディット・ピアフのための演劇『Le Bel Indifferent』。
1945年、代表的映画作品『美女と野獣』を監督。
1955年、アカデミー・フランセーズ、ベルギー王立アカデミーの会員に選出された。
1960年、「詩人の王」に選ばれる。
1963年、他界。
■ジャン・コクトーの映画
ジャン・コクトー DVD-BOX (トールケース仕様)
【収録作品】『恐るべき子供たち』『美女と野獣』『オルフェ』『悲恋』『ルイ・ブラス』
- 出版社/メーカー: アイ・ヴィー・シー
- 発売日: 2003/11/11
- メディア: DVD
■ジャン・コクトーの詩と小説
Parade in Full Score: Ballet Realiste Sur UN Theme De Jean Cocteau
- 作者: Erik Satie
- 出版社/メーカー: Dover Pubns
- 発売日: 2000/11/01
- メディア: ペーパーバック
■もっとも輝いていた1920年代のパリを感じたくなったら
パリ パッケージツアー
mioさん、nice! をありがとうございます。
by room7 (2009-07-21 21:44)