タルコフスキーの「ノスタルジア」 -箱庭と自分探しの旅- [ 映画の部屋]
ユング派の精神療法の一つに、箱庭療法がある。人形や玩具のような小道具を使い、砂箱の中にミニチュアの庭を製作し、心理状態の分析に用いれられる。また、製作者に対しては、自分を認め、心を開放させていく効果もあるとされている。
普段「言葉」の世界に慣れ親しんでいる私たちは、心との対話のために、「言葉」を排し、全ての感覚を動員するこのような方法を手がかりとしている。「言葉ありき」で始まる世界は、確かに物事を明確に語ってくれる。しかし、「言葉」の生まれる以前の混沌を、人は心の深い部分で内包していることも、確かなことだろう。
タルコフスキーの「ノスタルジア」は箱庭である。
ロシアの詩人ゴルチャコフは、イタリアのトスカーナを旅しながら、祖国ロシアへの望郷の思いのために自殺してしまった18世紀の作曲家マクシム・ベリョゾフスキーについて調べている。その旅は、やがて彼自身の故郷への思い/自分探しの旅と重なりあっていく。
この作品の完成後、亡命することになるタルコフスキーは、故郷に対する複雑な思いを、「言葉」を排し、映像という手法で描こうとしている。
人は異郷の地を訪ね、自分を探しはじめる。しかし、求めるものはそこにはなく、心は故郷へと引かれていく。この故郷は、現存するものではない。自分の記憶の中に眠っている原郷というべきもので、止めておくことさえできない儚い存在...それこそ「言葉」を排した箱庭の中の存在だろう。
「家」のことを英語で「home」というが、「home」は、「本拠地」や「故郷/原郷」といった意味もあわせ持つ。「家」をつくるということは、原郷をつくり、その土地を原郷として認めることなのだろう。
「家」は、自分の原点であり、自分探しの帰結点でもある。普段の私たちは、そのことを忘れがちだが、「家」をこうした視点から眺めてみた時、建築という手法に、様々な可能性が広がっていることに気づかされる。
「ノスタルジア」は、そんな思いを持つ人のために、究極のラストシーンを用意していてくれている。
(続きを読む...)
◆タルコフスキーの「ストーカー」について
◆アンドレイ・タルコフスキー の作品
1960年
1962年
1967年
1972年
1975年
1979年
1983年
1986年
#映画の部屋
コメント 0