古田織部の泪 [ 人の部屋/しりとり]
ふ
古田織部(ふるた おりべ/1544〜1615.7.6)
戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・茶人。織部焼きの創始者。
千利休が豊臣秀吉の怒りをかって切腹させられた際、堺から大阪まで船で連れて行かれる利休を見送ったのは、古田織部と細川三斎の2人だったという。豊臣秀吉の怒りに触れた利休を見送るということは、かなりのリスクを伴う。まして2人は豊臣秀吉の直属の部下で、そのことを理由に罪に問われたとしても致し方ない。
利休が最後の茶会のために自ら削った茶杓を与えられた古田織部は、茶杓を収めるために、穴の開いた筒を作り、それを立て、穴から覗く茶杓を位牌代わりに拝んだという。「泪の茶杓」という銘を与えられたこの茶杓は、現在は、名古屋の徳川美術館に収蔵され、時々公開されている。こちらから美術館>常設展示室>第2展示室>泪の茶杓に写真と説明があるのでご覧ください。私が見た時は立ててあったので、印象が違うが...。やはり実物を見るべきだろう...いろいろなことを考えさせられる。
その後、関ヶ原の戦いでは徳川方につくが、利休の切腹を見送った24年後の1615年、大坂夏の陣の後、豊臣方に内通した罪を問われ、切腹を命じられる。利休同様、一切の釈明はしなかったという。茶とはかくも激しいものなのか...。
「泪の茶杓」にはそうした心の流れがある。
◆利休と織部のやり取りは、映画「利休」にも描かれている。DVDは無いようなので残念ですね。
◆こちらだったかもしれない...記憶が....どちらも良いお話なので。
コメント 0