ディーバ/ジャン=ジャック・ベネックス(再) [ 映画の部屋]
必要があって、以前書いたものをまとめ直したものです。
以前の記事はこちら。http://blog.so-net.ne.jp/room7/2005-06-04-1
言いたいことが多すぎて、分かりにくくなってしまったかな?
感覚的なものを説明しようとする時、別の感覚に置き換えるということはよくあります。
例えば、ランボーは、「Aは黒、Eは白、Iは赤、Uは緑、Oは青」と、母音と色を、カンディンスキーは、「三角は黄色、四角は青、丸は赤...」と、形態を色と結びつけて説明しています。
ここまで明確な感覚の結びつきには、人類共有の体験のようなものを感じます。例えば、空の色が太陽の角度(季節や時間、場所など)によって大きく変化していく様子は、色の感覚として、誰もが毎日経験していることで、それがその時空で何を意味しているのかは、生命体である以上、否が応でも理解しているはずです。こうしたDNAに刷り込まれてきた相互の感覚の結びつきを、ランボーやカンディンスキーは、あのような言葉で表しているのでしょう。(そんなことから、2人とも自らの表現媒体についての感覚を、色に結びつけていることも偶然ではないと思います。)
さて、ジャン=ジャック・ベネックスの「ディーバ」もそういった共感覚を意識させる映画の一つです。青の持つ沈静、黄色の持つ企み、赤と黒の対比による強さへの転換など、各場面に登場する色は、その時の別の感覚の説明に利用されています。
同様に、各場面に登場するインテリアや物(車、バイク、ファッション、持ち物など)、風景や音楽や音(雑音)といったものも、ベネックスの意思により、巧みにコントロールされ、彼の表現したいものを感覚的に理解させようとしています。
ですから、この映画には、一つとして配慮の欠けた絵はありません。そうした彼の美意識と完璧主義が、もっとも成功した映画なのではないでしょうか。
ジャン=ジャック・ベネックスの「ディーバ」(1981年)
「ベティブルー」でおなじみのジャン=ジャック・ベネックス監督のデビュー作。今から25年以上前の作品だが、内容的にも映像的にも色あせていない。
”ディーバ”とは、歌姫のこと。最近よく、女性シンガーを紹介する際に、”ディーバ”という表現が用いられるが、日本で”ディーバ”という言葉が用いられたのは、この映画が最初。
こんにちは。
以前もDivaに関する記事を読んで感動しましたが、今回の記事にもとっても共感しました。
ひとつとして配慮の欠けた絵はない・・・、まさにその通りですね。監督の美意識の高さに圧倒されました。
この映画、長いこと観ていませんが、かつては何回か映画館に通って観ました。
by rbhh (2007-05-04 07:14)
rbhh さん、コメントをありがとうございます。
rbhh さんにそういってもらえると、一安心です(実は読んでもらいたかった ^^)。
もう少し考えをスッキリさせたいと思っていたのですが...なかなか...です。
by room7 (2007-05-04 20:44)