柿本人麻呂...ながながし夜 [ 人の部屋/しりとり]
◆人名しりとり...か
柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ/660年頃~720年頃)飛鳥時代の歌人。三十六歌仙の一人。
柿本人麻呂...学生時代に習いましたね。古典の授業で暗記させられました。
あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む
東(ひむがし)の野にかげろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ
「ながながし夜を ひとりかも寝む」って、本当に寂しい歌ですよね。その人の人生(だれの人生においても...)にどんな背景があるのかはわかりませんが...「ながながし夜を ひとりかも寝む」...と締めくくられたら、そりゃ〜、ちょっと遣る瀬無い。
あたりまえのことを、あたりまえのように言っているだけなのに、その情景を想像すると、もっと膨らんだ感覚が伝わってくるわけで...「ながながし夜」とか「かたむいた月」とか、言葉の持っている力というのは相当なものです。
人麻呂は、万葉集で140種あまりの枕詞*を使ったらしいのですが、そのうち半数は人麻呂によって作られたのではないかと考えられているようです。言葉の持つ力を吟味し尽くし、言葉の意味を創造できた希有の人物ということでしょう。
*枕詞(まくらことば)とは、主として和歌に見られる修辞で、特定の語の前に置いて、語調を整えたりある種の情緒を添える言葉のことである。歌の意味には直接的に関係しないことが多い。また、一般に五音節で、上五に置かれることが多い。(http://ja.wikipedia.org/wiki/枕詞)
こうした言葉の持つ感覚は、いったい何時頃、どのように成立していくものなのでしょうね?
経験の積み重ね? 時代を越えて経験を積み重ねていくためには、文字が必要なわけですが。
柿本人麻呂の時代、平仮名もカタカナもないわけで、万葉集には
足日木乃 山鳥之尾乃 四垂尾之 長永夜乎 一鴨將宿
と漢字の羅列です。
日本語は話していたでしょうが、文字のビジュアルとしては、平仮名の持つ柔らかさや情感とは無縁な感じがします。ひょっとすると、私たちは全然違う意味で捉えている...という可能性も否定できません。
柿本人麻呂という言葉の天才が見切ったものを、現代の私たちが同じように見ることはできないということなのでしょうか。
takagakiさん、nice!ありがとうございます。
by room7 (2008-02-19 06:43)