霧の牧野/牧野義雄 [ アートの部屋]
子供の頃読んだ伝記物で、牧野義雄のことは知っていた...はずだ。
"はずだ"というのは、実は「牧野義雄」という名前はスッカリ忘れていて、「霧の〜〜〜」だけが強烈にインプットされていたからだ。
伝記といっても十ペイジ足らずの短なもので(「郷土の人物」的なものの一部として掲載されていたかもしれない)、子供でも読みやすく書かれたものであったが、それでも、西洋の文化が流入してきた時期に、なんの寄る辺を持たず単独でアメリカーイギリスへ渡り成功を収めた人物であることは、十分に読み取れた。
したがって、「牧野義雄」という人物に関しては、その行動力に対する憧れと「霧の〜〜〜」という代名詞が強くインプットされ、実際の作品に関しては良く知らなかった。
現在、豊田市美術館で「牧野義雄展」が開催されている。
牧野義雄は、愛知県の挙母村(現在の豊田市)の出身ということで、豊田市美術館が収集し、数年間の修復作業を経て(水彩画の修復なので困難な作業であろうに...)、牧野義雄の渡英110年目の今年、一般公開されることになったようだ。
その後、第2次世界大戦勃発による影響で日本に戻り、政治家重光葵の庇護を受けていたようだが、終戦と共にそれもかなわず、鎌倉の知人宅を転々とすることになる。行方不明になり、発見された時は病気にかかっており、翌年86歳で亡くなる。
彼の絵からは日本を感じる。浮世絵のような英国婦人に街路樹。そして暈し。
当時の日本国内では、西洋の芸術を貧欲に学ぼうとする人たちと、日本の伝統を守り抜こうとする人たちがいた。牧野義雄はそのどちらにも属していない。なにしろ国内の誰にも頼っていないのだ。師匠を持っていないのだ。
逆に、当時のヨーロッパは日本趣味の時代であった。牧野義雄はそこにピッタリ嵌ったのだろう...そういったら実も蓋もないが...それでも、こういう日本人画家がいたことを覚えておきたい。
日本には彼の居場所が用意されていなかった。それはそれでどうしようもないことだが、今、彼の作品を丁寧に修復し保管している美術館があるということが、なによりも素晴らしい。
■「牧野義雄展」は豊田市美術館で3月30日まで開催
http://www.museum.toyota.aichi.jp/japanese/index.html
http://www.museum.toyota.aichi.jp/
倫敦の霧描き/牧野義雄と野口米次郎に見る失われた日本の芸術精神
- 作者: 羽澄 不一
- 出版社/メーカー: 鹿友館
- 発売日: 1992/08
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takagakiさん、nice!ありがとうございます。
by room7 (2008-02-27 19:44)