ラヴェルのボレロから... [ 人の部屋/しりとり]
◆人名しりとり...ら
ラヴェル(ジョゼフ=モーリス・ラヴェル/Joseph-Maurice Ravel/1875.3.7〜1937.12.28)フランスの作曲家。代表作はバレエ音楽「ボレロ」。
やはり始まりは「愛と哀しみのボレロ」。ヘルベルト・フォン・カラヤン、グレン・ミラー、ルドルフ・ヌレエフ、エディット・ピアフ...国籍の異なる四人(役名は違いますが)の1930代から現代(1981年)に至る人生を、クロード・ルルーシュが描いた映画。原題は「 Les Uns et Les Autres」だから、「これも、それも...すべて...」。映画も長くなる。
ヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbert von Karajan/1908.4.5〜1989.7.16)ドイツ
グレン・ミラー(Glenn Miller/1904.3.1〜1944.12.15)アメリカ
ルドルフ・ヌレエフ(Rudolf Khametovich Nureyev/1938.3.17〜1993.1.6)ロシア
エディット・ピアフ(Édith Piaf/1915.12.19〜1963.10.11)フランス
クロード・ルルーシュ(Claude Lelouch/1937.10.30〜 )フランス
現代(1981年)を描いた時点で、2人は亡くなっている。
どの程度史実に沿っているのか...よくは知らないのだが、そんな小さな疑問など吹き飛ばしてくれる大団円とヌレエフ役のジョルジュ・ドンの「ボレロ」
ジョルジュ・ドン(Jorge Donn/1947.2.25〜1992.11.30)。ヌレエフ本人より先に亡くなるなんて。
Maya Plisetskayaのボレロはこちら
マイヤ・ミハイロフナ・プリセツカヤ(Maya Mikhailovna Plisetskaya/1925.11.20〜 )
http://room7.blog.so-net.ne.jp/2008-02-08-6
そんなわけで、ラヴェルの話題は...。
ボレロの初演は1928年11月22日にパリオペラ座。内容としては、「セビリアのとある酒場。一人の踊り子が、舞台で足慣らしをしている。やがて興が乗ってきて、振りが大きくなってくる。最初はそっぽを向いていた客たちも、次第に踊りに目を向け、最後には一緒に踊り出す。(http://ja.wikipedia.org/wiki/ボレロ_%28ラヴェル%29)」というもので、もともとスペインをテーマとするものらしい。
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(追記 2008.4.23)
1984年のサラエボ大会のアイスダンスで、ジェーン・トービル/クリストファー・ディーンのペアが、「ボレロ」で技術点・芸術点共、全ての審判員から満点をもらっています。このような満点は、フィギュアスケート史上、この時1回です(採点方法は現在と異なります)。
これです。
この演技、覚えている人も多いのではないでしょうか。この演技の後20年間、だれも「ボレロ」で滑ることができませんでした。
1984年は映画「愛と哀しみのボレロ」の3年後のことであり、この時2人が滑ったサラエボの町が破壊されるズ〜ット前のことです。
ラヴェル(ジョゼフ=モーリス・ラヴェル/Joseph-Maurice Ravel/1875.3.7〜1937.12.28)フランスの作曲家。代表作はバレエ音楽「ボレロ」。
やはり始まりは「愛と哀しみのボレロ」。ヘルベルト・フォン・カラヤン、グレン・ミラー、ルドルフ・ヌレエフ、エディット・ピアフ...国籍の異なる四人(役名は違いますが)の1930代から現代(1981年)に至る人生を、クロード・ルルーシュが描いた映画。原題は「 Les Uns et Les Autres」だから、「これも、それも...すべて...」。映画も長くなる。
ヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbert von Karajan/1908.4.5〜1989.7.16)ドイツ
グレン・ミラー(Glenn Miller/1904.3.1〜1944.12.15)アメリカ
ルドルフ・ヌレエフ(Rudolf Khametovich Nureyev/1938.3.17〜1993.1.6)ロシア
エディット・ピアフ(Édith Piaf/1915.12.19〜1963.10.11)フランス
クロード・ルルーシュ(Claude Lelouch/1937.10.30〜 )フランス
現代(1981年)を描いた時点で、2人は亡くなっている。
どの程度史実に沿っているのか...よくは知らないのだが、そんな小さな疑問など吹き飛ばしてくれる大団円とヌレエフ役のジョルジュ・ドンの「ボレロ」
ジョルジュ・ドン(Jorge Donn/1947.2.25〜1992.11.30)。ヌレエフ本人より先に亡くなるなんて。
Maya Plisetskayaのボレロはこちら
マイヤ・ミハイロフナ・プリセツカヤ(Maya Mikhailovna Plisetskaya/1925.11.20〜 )
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そんなわけで、ラヴェルの話題は...。
ボレロの初演は1928年11月22日にパリオペラ座。内容としては、「セビリアのとある酒場。一人の踊り子が、舞台で足慣らしをしている。やがて興が乗ってきて、振りが大きくなってくる。最初はそっぽを向いていた客たちも、次第に踊りに目を向け、最後には一緒に踊り出す。(http://ja.wikipedia.org/wiki/ボレロ_%28ラヴェル%29)」というもので、もともとスペインをテーマとするものらしい。
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(追記 2008.4.23)
1984年のサラエボ大会のアイスダンスで、ジェーン・トービル/クリストファー・ディーンのペアが、「ボレロ」で技術点・芸術点共、全ての審判員から満点をもらっています。このような満点は、フィギュアスケート史上、この時1回です(採点方法は現在と異なります)。
これです。
この演技、覚えている人も多いのではないでしょうか。この演技の後20年間、だれも「ボレロ」で滑ることができませんでした。
1984年は映画「愛と哀しみのボレロ」の3年後のことであり、この時2人が滑ったサラエボの町が破壊されるズ〜ット前のことです。
takagakiさん、nice!をありがとうございます。
by room7 (2008-04-21 22:20)
ボレロ、フィギアスケートによく使われますよね。
コドモの頃に見たフィギアの大会で、
この曲で満点を取ったカップルがいたような?
by ももこ (2008-04-23 22:45)
ももこさん、nice!とコメントありがとうございます。そうですね、アイスダンスは「ボレロ」でした! 1984年のサラエボ大会(サラエボはどうなっているのだろうか...)のアイスダンスで、ジェーン・トービル/クリストファー・ディーンのペアが、「ボレロ」で技術点・芸術点共に満点を出しました。満点は、フィギュアスケート史上、この時1回だけのようです。追記しておきますね。
by room7 (2008-04-23 23:11)