北川民次的心 [ 人の部屋/しりとり]
ゴールデンウィーク、お疲れさまでした。今日からまた、通常モードで参ります。
◆人名しりとり001...き
北川民次(きたがわ たみじ/1894年〜1989年)
北川民次は後半生を愛知県の瀬戸市で過ごした。だから、北川民次の作品を見る機会は多い。名古屋市美術館や愛知県美術館には多くの作品が収蔵されているし、半田市には個人が運営する美術館「かみや美術館」がある。
かみや美術館では、やはり多くの北川民次の作品を見ることができるのだが、それと共に、子供に対する美術教育に熱心であったり、半田市の「ふるさと景観賞」をもらい観光地にもなっている「新美南吉養家」の改修工事に尽力したことなど、北川民次の人と成りを知ることができる。
その生き方は、荒んだ風景でありながら力強く、貧しい姿ながら逞しい、そしてなにより優しい...北川民次の絵画と重なり合って心地よい。
アメリカへ単身渡り、またメキシコで活動した北川民次は、日本美術界の主流ではないだろうし、それを目指した形跡もうかがえない。
ちょうど今、名古屋市美術館 常設展示室で「メキシコ・ルネサンス:北川民次の芸術(2008年4月5日~6月29日)」が開催されている。北川民次と共に、マリア・イスキエルド「生きている静物 1947年」、ホセ・クレメンテ・オロスコ「メキシコ風景 1932年」、ディエゴ・リベラ「プロレタリアの団結 1933年」、ダビッド・アルファロ・シケイロス「母と子 1962年」、ルフィーノ・タマヨ「苦悶する人 1949年」なども展示されているようだ。
■北川民次略歴(こちらからの転載 http://d.hatena.ne.jp/keyword/%CB%CC%C0%EE%CC%B1%BC%A1)
1894年 静岡県生まれ
1910年 早稲田大学入学、椿貞夫と知り合い油絵を描き始める
1914年 早大中退、20歳で渡米
1917年 N.Y.のアート・スチューデンツ・リーグでジョン・スローンに学ぶ
1923年 メキシコに移りサン・カルロス美術学校を卒業、野外美術学校で子供達に絵を教えるかたわら、オロスコ、リヘラ、シケイロスらと交遊
1931年 タスコの野外美術学校校長となる
1936年 24年間の海外渡留を終えて帰国
1937年 藤田嗣治の推薦で第24回二科展に出品、会員となる
1949-51年 名古屋市東山動物園で名古屋動物園美術学校を毎夏開校して小学生の絵画教育に傾注
1951年 名古屋市内に児童美術研究所を開設、現在では全国に広がった創造美術のきっかけをつくるなど、児童画教育者として国際的に評価された
1952年 第5回中日文化賞受賞
1968年 第6回現代日本美術展佳作賞受賞
1978年 東郷青児の死去に伴い二科会会長に推されたが同年辞任
1979年 二科会から脱会
1989年 逝去(95歳)
◆かみや美術館のサイト
http://www.kamiya-muse.or.jp/
◆愛知県芸術文化センターの北川民次の特集(1996年11月)の表紙。写真撮影は土門拳(いい笑顔です)。
http://www.aac.pref.aichi.jp/aac/aac18/aac18-1top.html
◆愛知県美術館の北川民次のコレクション
http://search-art.aac.pref.aichi.jp/p/seisaku.php?AI=ART19970326
◆北川民次が死を迎えた瀬戸の瀬戸市立美術館の北川民次の作品
http://www.city.seto.aichi.jp/setomono/art/02room.html
◆北川民次の作品を見る
◆北川民次で検索
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◆人名しりとり001...き
北川民次(きたがわ たみじ/1894年〜1989年)
北川民次は後半生を愛知県の瀬戸市で過ごした。だから、北川民次の作品を見る機会は多い。名古屋市美術館や愛知県美術館には多くの作品が収蔵されているし、半田市には個人が運営する美術館「かみや美術館」がある。
かみや美術館では、やはり多くの北川民次の作品を見ることができるのだが、それと共に、子供に対する美術教育に熱心であったり、半田市の「ふるさと景観賞」をもらい観光地にもなっている「新美南吉養家」の改修工事に尽力したことなど、北川民次の人と成りを知ることができる。
その生き方は、荒んだ風景でありながら力強く、貧しい姿ながら逞しい、そしてなにより優しい...北川民次の絵画と重なり合って心地よい。
アメリカへ単身渡り、またメキシコで活動した北川民次は、日本美術界の主流ではないだろうし、それを目指した形跡もうかがえない。
ちょうど今、名古屋市美術館 常設展示室で「メキシコ・ルネサンス:北川民次の芸術(2008年4月5日~6月29日)」が開催されている。北川民次と共に、マリア・イスキエルド「生きている静物 1947年」、ホセ・クレメンテ・オロスコ「メキシコ風景 1932年」、ディエゴ・リベラ「プロレタリアの団結 1933年」、ダビッド・アルファロ・シケイロス「母と子 1962年」、ルフィーノ・タマヨ「苦悶する人 1949年」なども展示されているようだ。
■北川民次略歴(こちらからの転載 http://d.hatena.ne.jp/keyword/%CB%CC%C0%EE%CC%B1%BC%A1)
1894年 静岡県生まれ
1910年 早稲田大学入学、椿貞夫と知り合い油絵を描き始める
1914年 早大中退、20歳で渡米
1917年 N.Y.のアート・スチューデンツ・リーグでジョン・スローンに学ぶ
1923年 メキシコに移りサン・カルロス美術学校を卒業、野外美術学校で子供達に絵を教えるかたわら、オロスコ、リヘラ、シケイロスらと交遊
1931年 タスコの野外美術学校校長となる
1936年 24年間の海外渡留を終えて帰国
1937年 藤田嗣治の推薦で第24回二科展に出品、会員となる
1949-51年 名古屋市東山動物園で名古屋動物園美術学校を毎夏開校して小学生の絵画教育に傾注
1951年 名古屋市内に児童美術研究所を開設、現在では全国に広がった創造美術のきっかけをつくるなど、児童画教育者として国際的に評価された
1952年 第5回中日文化賞受賞
1968年 第6回現代日本美術展佳作賞受賞
1978年 東郷青児の死去に伴い二科会会長に推されたが同年辞任
1979年 二科会から脱会
1989年 逝去(95歳)
◆かみや美術館のサイト
http://www.kamiya-muse.or.jp/
◆愛知県芸術文化センターの北川民次の特集(1996年11月)の表紙。写真撮影は土門拳(いい笑顔です)。
http://www.aac.pref.aichi.jp/aac/aac18/aac18-1top.html
◆愛知県美術館の北川民次のコレクション
http://search-art.aac.pref.aichi.jp/p/seisaku.php?AI=ART19970326
◆北川民次が死を迎えた瀬戸の瀬戸市立美術館の北川民次の作品
http://www.city.seto.aichi.jp/setomono/art/02room.html
うさぎのみみはなぜながい―メキシコ民話 (日本傑作絵本シリーズ)
- 作者: 北川 民次
- 出版社/メーカー: 福音館書店
- 発売日: 1982/01
- メディア: -
絵を描く子供たち―メキシコの思い出 (岩波新書 青版 120)
- 作者: 北川 民次
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1982/12
- メディア: 新書
北川民次―メキシコの青春 十五年をインディアンと共に (人間の記録)
- 作者: 北川 民次
- 出版社/メーカー: 日本図書センター
- 発売日: 2002/12
- メディア: 単行本
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xml_xslさん、いっぷくさん、nice!をありがとうございます。
by room7 (2008-05-07 23:05)
深野一朗さん、nice!をありがとうございます。
by room7 (2011-02-28 05:32)