河東碧梧桐の俳句 [ 人の部屋/しりとり]
◆人名しりとり...か
河東碧梧桐(かわひがし へきごとう/1873.2.26〜1937.2.1)日本の俳人・随筆家。
近代俳句の創設者、正岡子規の学校の後輩であり弟子。高浜虚子の同級生。ここら辺のことは「坂の上の雲(司馬遼太郎)」に詳しく描かれている。故郷松山で、正岡子規に野球を教えてもらったのが出会いだったか...。
正岡子規の死後、高浜虚子が正岡子規の後継としてキチッと近代俳句を形成していくのに対し、河東碧梧桐は、そうした決まり事の枠を取り払って、自由な表現を目指す。
こんな具合。
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河東碧梧桐(かわひがし へきごとう/1873.2.26〜1937.2.1)日本の俳人・随筆家。
近代俳句の創設者、正岡子規の学校の後輩であり弟子。高浜虚子の同級生。ここら辺のことは「坂の上の雲(司馬遼太郎)」に詳しく描かれている。故郷松山で、正岡子規に野球を教えてもらったのが出会いだったか...。
正岡子規の死後、高浜虚子が正岡子規の後継としてキチッと近代俳句を形成していくのに対し、河東碧梧桐は、そうした決まり事の枠を取り払って、自由な表現を目指す。
赤い椿白い椿と落ちにけり(1896年)
から松は淋しき木なり赤蜻蛉(1902年)
思はずもヒヨコ生れぬ冬薔薇(1910年)
相撲乗せし便船のなど時化となり(1915年)
網から投げ出された太刀魚が躍つて砂を噛んだ(1923年)
ひるの酒さめて戻る土筆のあれば土筆つむ(1928年)
こんな具合。
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takagakiさん、nice! をありがとうございます。
by room7 (2008-06-12 01:09)