新堀川 記念橋 [ ? の部屋]
名古屋の堀川は、名古屋城築城の際、建材を運ぶための経路として人工的に作られた運河であることはよく知られている。水源は地下水であったというのだから、当時の名古屋の湿地状況が伺い知れるし、やがて堀川の水量が減ると共に、周辺の地盤は改良されていったことだろう。減ったしまった堀川の水量を補うために、既存の川と結んだりもされた)。
明治になっても、瀬戸で生産された陶磁器を運搬するためにも使われるなど、交通手段・運送手段としての運河の特徴を強く持っている。
一方の新堀川であるが、こちらは、既存の川の付け替えの運河で、水害を減らし周辺の地盤環境を良くするため、明治時代に作られた運河である。
写真の「記念橋」は、その新堀川に架かっている。新堀川の完成も、記念橋の完成も、共に明治43年(1910年)で、これはその年に開催された第10回関西府県連合共進会にあわせた上前津から鶴舞までの道路の拡張工事とともに進行している。
言い換えるなら、博覧会を開催し、湿地帯で人が住んでいない当時の名古屋の郊外を開発した...その時の残存が新堀川であり記念橋ということなのだろう。
似たようなことは、今でも行われてますよね。
もっとも、記念橋の完成は、博覧会に間に合わなかったようですが...。
写真集明治大正昭和名古屋―ふるさとの想い出30 (1979年)
- 作者:
- 出版社/メーカー: 国書刊行会
- 発売日: 1979/02
- メディア: -
2008-08-07 05:00
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コメント(3)
明治末の建造物らしく、重厚な橋ですね。川や橋には先人の様々な思惑があって、創られたのですね。落書きがおしいことです。
by whitered (2008-08-07 07:16)
whiteredさん、nice!とコメントをありがとうございます。落書き...本当に残念なことです。地元の人でも、この橋に関心がない人がほとんどだと思います。
by room7 (2008-08-07 22:02)
takagakiさん、nice! をありがとうございます。
by room7 (2008-08-09 22:12)