フォルクスワーゲン/フェルディナント・ポルシェ [ デザインの部屋]
フェルディナント・ポルシェ博士には3つの夢があった。
1. 大衆車のための実用的かつ先進的な小型経済車
2. 持てる技術の全てを集めた高性能スポーツカー
3. 生産性向上に貢献する農業用トラクター
そんな1つ目の夢である大衆車が結実したのが「フォルクスワーゲン・タイプ1」だ。
ポルシェ博士は、この”大衆車”という夢のために、ダイムラー・ベンツ社の技術部長兼取締役のポストを捨て、1931年に55歳で独立する。資金難でプロジェクトが進まない中、1933年、ドイツ首相に就任したアドルフ・ヒトラーから国民車(ドイツ語でフォルクスワーゲン)の設計を依頼され、3年後の1936年に試作車を完成させる。スタイリングは、エルヴィン・コメンダ (Erwin Komenda) 。
車名はヒトラーにより「Kdf」(歓喜力行車)とされ、1938年に量産化がはじまる。しかし戦争のため、この車が大衆の手に届くことはなく、軍用車として改造されるなどしていく。
フェルディナント・ポルシェ(Ferdinand Porsche/1875.9.3〜1951.1.30)オーストリアの自動車エンジニア。ポルシェ社の創始者である。(写真はフェルディナント・ポルシェと息子のフェリー・ポルシェ)
”国民車”として設計されたが、会戦により軍用に転用されていく。
フォルクスワーゲンを改造したシュビムワーゲンとキューベルワーゲン
戦後、本当の”国民車”に。フォルクスワーゲンタイプ1は「ビートル(Beatle)の愛称で親しまれ、1938年の生産開から2003年までに、四輪自動車としては世界最多となる生産台数「2,152万9,464台」の記録を打ち立てた伝説的大衆車となる。
フォルクスワーゲンは、スポーツカー(レーシングカー)にも仕立て上げられていく。
フォルクスワーゲン タイプ64 (1939) “The Grandfather” (ベルリンーローマ レーサー)
ベルリン~ローマ間 1300km を走破するラリー用のレーシングカー。1939年~40年に3台製作。1100ccのエンジンから45馬力にチューンナップされ、シャーシはタイプ1より200kg軽い545Kg。150km/hの巡航速度を記録していまる。
フォルクス・ワーゲンをスポースカー(レーシングカー)に仕立て上げた、ポルシェ356(1948年)。スタイリングは、エルヴィン・コメンダ (Erwin Komenda) 。
戦前のレース界を席巻した2台のスポーツカー。
◆現在生産されている”ニュー・ビートル”は、エンジンが前にあるFF車
◆ポルシェ関連書籍を検索
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1. 大衆車のための実用的かつ先進的な小型経済車
2. 持てる技術の全てを集めた高性能スポーツカー
3. 生産性向上に貢献する農業用トラクター
そんな1つ目の夢である大衆車が結実したのが「フォルクスワーゲン・タイプ1」だ。
ポルシェ博士は、この”大衆車”という夢のために、ダイムラー・ベンツ社の技術部長兼取締役のポストを捨て、1931年に55歳で独立する。資金難でプロジェクトが進まない中、1933年、ドイツ首相に就任したアドルフ・ヒトラーから国民車(ドイツ語でフォルクスワーゲン)の設計を依頼され、3年後の1936年に試作車を完成させる。スタイリングは、エルヴィン・コメンダ (Erwin Komenda) 。
ヒトラーから出された条件は、以下のようなものであった(http://ja.wikipedia.org/wiki/フォルクスワーゲン・タイプ1)
・頑丈で長期間大きな修繕を必要とせず、維持費が低廉であること
・標準的な家族である大人2人と子供3人が乗車可能なこと
・連続巡航速度100km/h以上
・7リットルの燃料で100kmの走行が可能である(=1リットルあたりの燃費が14.3km以上である)こと
・空冷エンジンの採用 など
・流線型ボディの採用
・1000マルク以下での販売
車名はヒトラーにより「Kdf」(歓喜力行車)とされ、1938年に量産化がはじまる。しかし戦争のため、この車が大衆の手に届くことはなく、軍用車として改造されるなどしていく。
フェルディナント・ポルシェ(Ferdinand Porsche/1875.9.3〜1951.1.30)オーストリアの自動車エンジニア。ポルシェ社の創始者である。(写真はフェルディナント・ポルシェと息子のフェリー・ポルシェ)
”国民車”として設計されたが、会戦により軍用に転用されていく。
1/48 ミリタリーミニチュアシリーズ No.31 フォルクスワーゲン タイプ82E スタッフカー
- 出版社/メーカー: タミヤ
- メディア: おもちゃ&ホビー
フォルクスワーゲンを改造したシュビムワーゲンとキューベルワーゲン
戦後、本当の”国民車”に。フォルクスワーゲンタイプ1は「ビートル(Beatle)の愛称で親しまれ、1938年の生産開から2003年までに、四輪自動車としては世界最多となる生産台数「2,152万9,464台」の記録を打ち立てた伝説的大衆車となる。
フォルクスワーゲンは、スポーツカー(レーシングカー)にも仕立て上げられていく。
フォルクスワーゲン タイプ64 (1939) “The Grandfather” (ベルリンーローマ レーサー)
ベルリン~ローマ間 1300km を走破するラリー用のレーシングカー。1939年~40年に3台製作。1100ccのエンジンから45馬力にチューンナップされ、シャーシはタイプ1より200kg軽い545Kg。150km/hの巡航速度を記録していまる。
フォルクス・ワーゲンをスポースカー(レーシングカー)に仕立て上げた、ポルシェ356(1948年)。スタイリングは、エルヴィン・コメンダ (Erwin Komenda) 。
戦前のレース界を席巻した2台のスポーツカー。
メルセデス ベンツ SSK (The black prince), 1930年
- 出版社/メーカー: CMC社、ドイツ製
- メディア: おもちゃ&ホビー
◆現在生産されている”ニュー・ビートル”は、エンジンが前にあるFF車
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ポルシェのエンジンを積んだタイプ1のカブリオレが活躍する。
フォルクスワーゲンがいろいろな種類の形に変容していくのは、驚きです。今のは、ずいぶんこじんまりとしてきましたね。
by whitered (2008-11-30 08:28)
whiteredさん、nice! とコメントをありがとうございます。ベースとなるものの出来が素晴らしければ、色々な使い方が可能になる...という一つの例なのでしょうね。
by room7 (2008-11-30 23:00)
なんかどの写真見てもワクワクしますね〜〜!!
by ゆう (2008-12-01 02:45)
ゆうさん、nice! とコメントをありがとうございます。ポルシェ博士の純粋さが現れていますね。
by room7 (2008-12-01 22:45)
takagakiさん、nice! をありがとうございます。
by room7 (2008-12-02 23:12)