諸戸邸/ジョサイア・コンドル [ デザインの部屋]
三重県の桑名にある「諸戸邸」。明治期の政商、諸戸清六の邸宅である。ジョサイア・コンドルの後期の作品。
門をくぐって、アプローチから見た諸戸邸は、木造の洋館。円形の塔が特徴的で、木製のサッシに収まるガラスも、外壁の曲線に合わせて湾曲している。高度な技術はイギリスからの輸入品。
洋館の左手には、日本建築が連なっている。
そのジョイントは、意外にダイレクトであるが、楽しそうな試みでもあったろう。屋根の高低、アクセントに工夫を感じる。
後年、この部分に植えられた植栽が残念? これでよい? 屋外水洗が立ち上がっているのは、なんとも... ここが、キモなのだろうから。
陸屋根を避け、実用に徹しているところは、日本の気候を熟知していたからか?
内装のジョイントも見事なまでにダイレクト。
洋館側には、当時流行のアールヌーボーのスタイルも。
日本建築側の凝ったスイッチ。
ジョサイア・コンドル(Josiah Conder/1852.9.28〜1920.6.21)イギリス出身の建築家。お雇い外国人として来日し、辰野金吾ら、創生期の日本人建築家を育成し、建築界の基礎を築いた。
経歴 1852年 ロンドンに生まれる、父は銀行員
父の急逝後、ロジャー・スミス(父の従兄でロンドン大学教授)の建築事務所や、ロンドン大学などで建築を学ぶ
1873年 ウイリアム・バージェス事務所に入所
1876年 一流建築家への登竜門であるソーン賞を受賞、日本政府と契約(5年間)
1877年(明治10年)来日、工部大学校(現・東大工学部建築学科)造家学教師および工部省営繕局顧問
1884年(明治17年)辰野金吾の教授就任により工部大学校を解雇
1886年(明治19年)帝国大学工科大学講師(4月)、官庁集中計画の一環で学生を引率しドイツへ出張(10月~)、ロンドンにも立ち寄り、翌年帰国
1888年(明治21年)講師辞任、建築事務所を開設
1893年(明治26年)前波くめと結婚
1914年(大正3年)工学博士号取得
1920年(大正9年)東京で逝去。67歳
工部大学校で教えたのは7年間と、意外と短かったのですね。
代表的な建物
鹿鳴館(華族会館)-1883年竣工、1940年取壊
ニコライ堂(重要文化財)-1891年竣工
岩崎久弥茅町本邸(現在の旧岩崎邸庭園内の洋館および撞球室、重要文化財)-1896年竣工
岩崎弥之助高輪邸(現三菱開東閣)-1908年竣工
三井家倶楽部(現綱町三井倶楽部)-1913年竣工
旧諸戸清六邸(現桑名市六華苑、重要文化財)-1913年竣工
島津家袖ヶ崎邸(現清泉女子大学本館)-1915年竣工
古河虎之助邸(現在の旧古河庭園大谷美術館)-1917年竣工
(以上、http://ja.wikipedia.org/wiki/ジョサイア・コンドル)
日本庭園入門―Landscape gardening in Japan
- 作者: ジョサイア・コンドル
- 出版社/メーカー: 講談社インターナショナル
- 発売日: 2002/04
- メディア: ハードカバー
YS11さん、nice! をありがとうございます。
by room7 (2009-07-21 21:45)
初めの写真のコンドルの作品のように建物に曲線を使うと
やわらかないい感じになりますね。
曲線を使うとコストが高くなるんですよね。
by いっぷく (2009-07-22 10:47)
いっぷくさん、ありがとうございます。コストは高くなるでしょうね。でも、コンドルの(当時の建築家の?)心意気が伝わってきますね。諸戸清六の趣味は普請で、この新居に関しても、口を挟んでいたようですから(円塔は当初一層低いものでしたが、景色をながめる為に高くすることを要求し、コンドルは渋々受け入れたようです。)、その辺りからきているかもしれませんが...。
by room7 (2009-07-23 04:02)
シロタさん、かものはしさん、nice! をありがとうございます。
by room7 (2009-07-26 11:01)
takagakiさん、nice! をありがとうございます。
by room7 (2009-08-03 06:58)