管弦楽のための協奏曲/バルトーク・ベーラ [ 音楽の部屋]
昨晩、私の町では盆踊りで、小雨で遠くで雷がなる中、決行された。家族を車で迎えにいき、待っている間、FMからバルトークが流れてきた。
炭坑節やチャンピオン音頭を聞いた後のバルトークか〜〜〜と、思っていたところ、子供たちが到着した。
途中までしか聞けなかったので。
バルトーク・ベーラ・ヴィクトル・ヤーノシュ(Bartók Béla Viktor János/1881.3.25〜1945.9.26)ハンガリー領トランシルヴァニア(正確にはバナート)生まれ、ニューヨークで没した作曲家、ピアノ演奏家、民俗音楽研究家。
管弦楽のための協奏曲は、バルトークが1943年に作曲した晩年の代表作。
アメリカへ移住したバルトークは、完全に創作の意欲を失っており、強いうつ状態にあったという。彼を励ますため、仲間が当時ボストン交響楽団の音楽監督だったクーセヴィツキーに提案して実現した作曲委嘱だったという。
また、1939年に第二次世界大戦が勃発すると、民俗音楽の研究を阻害する文化政策をとるナチスを嫌い、同年の母の死を期にヨーロッパを去ることを考え始めていたという(弦楽四重奏曲第6番に反映されているらしい)。この頃、反ユダヤ主義者との対話の中で、自らの祖父がユダヤ人だったことを示唆しているが、実際はマジャル人とクロアチア人の混血で、ユダヤ人の祖父はいなかったのだという。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/バルトーク・ベーラ、http://ja.wikipedia.org/wiki/管弦楽のための協奏曲_(バルトーク))
炭坑節やチャンピオン音頭を聞いた後のバルトークか〜〜〜と、思っていたところ、子供たちが到着した。
途中までしか聞けなかったので。
バルトーク・ベーラ・ヴィクトル・ヤーノシュ(Bartók Béla Viktor János/1881.3.25〜1945.9.26)ハンガリー領トランシルヴァニア(正確にはバナート)生まれ、ニューヨークで没した作曲家、ピアノ演奏家、民俗音楽研究家。
管弦楽のための協奏曲は、バルトークが1943年に作曲した晩年の代表作。
アメリカへ移住したバルトークは、完全に創作の意欲を失っており、強いうつ状態にあったという。彼を励ますため、仲間が当時ボストン交響楽団の音楽監督だったクーセヴィツキーに提案して実現した作曲委嘱だったという。
また、1939年に第二次世界大戦が勃発すると、民俗音楽の研究を阻害する文化政策をとるナチスを嫌い、同年の母の死を期にヨーロッパを去ることを考え始めていたという(弦楽四重奏曲第6番に反映されているらしい)。この頃、反ユダヤ主義者との対話の中で、自らの祖父がユダヤ人だったことを示唆しているが、実際はマジャル人とクロアチア人の混血で、ユダヤ人の祖父はいなかったのだという。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/バルトーク・ベーラ、http://ja.wikipedia.org/wiki/管弦楽のための協奏曲_(バルトーク))
- アーティスト: Bela Bartok,Pierre Boulez,Berlin Philharmonic Orchestra,Chicago Symphony Orchestra,London Symphony Orchestra,Hélène Grimaud,Krystian Zimerman,Leif Ove Andsnes
- 出版社/メーカー: Deutsche Grammophon
- 発売日: 2005/01/11
- メディア: CD
Bartok: Complete Solo Piano Music
- アーティスト: Bela Bartok
- 出版社/メーカー: Vox
- 発売日: 2003/05/27
- メディア: CD
whiteredさん、takagakiさん、nice! をありがとうございます。
by room7 (2009-08-19 07:53)