『ジュリアン』という映画を見た。 [ 映画の部屋]
久しぶりに映画を見ようと思って。
『ジュリアン』という映画を見た。
ただし原題は「Jusqu'à la garde」….「ただ守るだけ」。
戦争用語では、「最後の最後まで戦い抜く」ということらしい。
映画の内容にふさわしいタイトルだと思う。
「ジュリアン」というタイトルや、「ジュリアンは、母親を守るため、必死で嘘をつく」とか「息子をめぐって父と母の戦争」といった案内の仕方、また、「サスペンス」というジャンルに当てはめるような紹介の仕方は、この映画の本質を突いていない。まったく別の所へ誘導しているようで悲しい。
今の日本の社会に暗い影を落とし、毎日のように流れる家族、特に子どもにまつわる悲しいニュース。
あまりにもそれを想起させてしまうがため、一般の人に取りつきやすいようにした?....というのは、ちょっと優しすぎる推測か。
この映画を監督したグザヴィエ・ルグランは、前作の短編「Just Before Losing Everything」(アカデミー賞にノミネートされている)で、ミリアム(母)、ジュリアン、アントワーヌ(父)、ジョゼフィーヌ(姉)を登場させ、今回の映画の前段階のようなものを撮っている(見ていないのではっきりしたことは言えないが)。
日本でもドメスティックバイオレンスや子どもへの暴力、果ては.....(最近ニュースでよく聞くこと...)。
この映画を見ると、こうしたことが、フランスでも、簡単には解決のできない問題だということがよくわかる。
この映画では、最後に父親が銃を持ち出し、(誰が見ても)完全な暴力を振るい、警察沙汰になることで、ようやく解決を見る。
ここまでいかなければ解決できないとするならば、ここに至る途中の段階で苦しんでいる人たちがほとんどなのだろう。
何だろう、端的に言ってしまえば、「愛情」と「支配欲」は全く別物だということ。
飴と鞭を使うことで、人の心を動かすことはできるが、「愛情」とは違うだろう。
ミリアム(母)からは親の愛情を感じるが、アントワーヌ(父)からは感じない。自分を受け入れてもらえないと感じているから、人(妻や子ども)を支配することで、その心を満たそうとしているだけのように思う。しかし、他人にはそのことは理解できない。とくに裁判所においては。
子供達は直感的にそれを理解している。
あまりにもタイムリーだったので、長々と………失礼しました。
タグ:グザヴィエ・ルグラン 映画
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