荻原守衛...愛は芸術なり... [ 人の部屋/しりとり]
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荻原守衛(おぎわら もりえ/1880.12.1〜1911.4.20)
信州を旅行するとよく立ち寄っていた所に、荻原守衛の彫刻を展示する碌山美術館がある。松本から大糸線で北に行った穂高という所にあって、観光シーズンには大勢の人で賑わう。信州には多くの美術館があって、それぞれに特徴のある建物やコレクションを楽しむことができるが、やはり...ここだろう。
荻原守衛は、15歳でキリスト教徒となり、25歳でオーギュスト・ロダンと出会い、それから主立った作品の制作が行われる。碌山美術館サイトの略年譜によると、28歳から30歳で亡くなるまでの2年ほどの間に、「女の胴」「坑夫」「文覚」「デスペア」「北条虎吉像」「戸張孤雁像」「香爐」「労働者」「爺」「小児の首」「宮内氏像」「銀盤」「女」が制作されたことになる。凄まじくエネルギーを集約させた2年間だ...。
建物は、サイトのトップページに、「碌山美術館は、日本の近代彫刻の扉を開いた荻原守衛(碌山)の作品と資料を永久に保存し、一般に公開するために昭和33年4月、29万9100余人の力によって、碌山の生地である北アルプスの麓・安曇野の真中に誕生いたしました。」とあるように、大勢の人たちの労働参加によって作られた。設計は今井兼次(1895〜1987)。こういうのを良い建築というのだと思う。
芸術や建築の在り方について、いろいろ考えさせてくれる場...。
それにしても30歳か...
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