パリ空港の人々/フィリップ・リオレ [ 映画の部屋]
(<<<「赤い風船」記念。さりげなくフランス映画特集...完。パリ祭)
「パリ空港の人々(1993年)」。原題は「Tombes du Ciel」...「空の墓場」ということか。とても気の利いたタイトルだ。
昨日に「髪結いの亭主」(http://room7.blog.so-net.ne.jp/2008-07-13)に続いて、ジャン・ロシュフォールが主演。
これは、一つの家族の物語...とも言えるのだろうか?
パスポートを盗まれ、パリの空港から出られなくなった図像学者のジャン・ロシュフォールが、父親が不法滞在就労で強制送還されたアフリカから来た少年、コロンビアから強制退去させられた女性、自称元軍隊を渡り歩いた男、言葉が通じない出身不明の男...の4人が生活するトランジット・ゾーン(外国人用処理区域)に紛れ込み、彼らと過ごした数日間を描いている。
コロンビアの女性が、アフリカの少年に「起きて、靴を履いて食事にいらっしゃい」とかける声や表情、新年のパリの明かりを見ながら少年の肩を抱き寄せる仕草、それらは母親が子供に対する態度そのものではないか。
4人は自身の孤独を抱えながらも、助け合いながら一つの部屋で生きていた。
そうして考えると、元軍人は「昔に思いを馳せるたよりないお父さん」で、コロンビアの女性は「しつけに厳しく一家を支えるお母さん」、アフリカの子供は「素直に夢を持って生きるしっかりものの子供」、出身不明の男は「よくわからないけれど、しっかりと生活感を持って生きてきたお祖父ちゃん」...という感じなのだろうか。そこへお父さんの友達のジャン・ロシュフォールが訪ねてきて...と現代ならではの家族の形を持ったホーム・ドラマにもなりそうだが...実は、現実は厳しい...ということも笑いとペーソスを織り交ぜながら教えてくれる。
明日、アフリカの子供が強制退去させられるという夜、パリでの夢を捨てきれない子供が沈んでいる。ジャン・ロシュフォールは、パリにいながら空港から出ることができずパリを見たことがない少年のために、玩具やロウソクを使って、卓上にパリを再現する。子供に対する思いのこもった言葉に、周りに大人たちも心を通わせていく。この子のために空港を抜け出してパリを見せてやろう。私の好きなシーンだ。
新年に成ったばかりのパリの明かりは、彼らの心を素直にし、本心が溢れ出てくる。そんな運命を抱えてしまった人々に対するジャン・ロシュフォールのかける一言一言が思いやりに満ちている。
ジャン・ロシュフォール自身も、彼らと暮らす数日間で大きく変わっていたのかもしれないが,,,もともとそうした素養を持っていたに違いない。
出身不明の男の素性に対して興味を持ち、コミュニケーションを成立させようとしたのは、ジャン・ロシュフォールしかいない。彼の出身が、数百年前に滅んだ部族であることを知り(そういう意味では故郷が消失した彼が一番の孤独を抱えていたのかもしれない)、また気持ちを通じ合わせたのもジャン・ロシュフォールしかいなかった。
新年の夜の出来事も、ジャン・ロシュフォールが起こした奇跡なのだろう。ラスト、ジャン・ロシュフォールの手を握る子供の手も、しっかりと離さないでいてくれるに違いない。
同じフランスの国籍を持ち、同じフランス語を話す空港の職員や警察とは、コミュニケーションが成立せず、トランジット・ゾーン(外国人用処理区域)の人々と心を通わせるというのも皮肉が利いている。
監督・脚本のフィリップ・リオレは、ミシェル・ドヴィル、コリーヌ・セロー、ロバート・アルトマンらの録音技師を経て、38歳で監督に転じたという。この映画の製作に際して、実際にパリ空港に住んでいる人々をモデルに脚本を書いたという。
◆映画の解説
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD16860/index.html
http://www.cinemacafe.net/movies/cgi/18929/
フィリップ・リオレ(Philippe Lioret/1955.10.10〜 ) フランスの映画監督。
◆フィリップ・リオレの作品を検索する
ジャン・ロシュフォール(Jean Rochefort/1930.4.29〜 )フランスの俳優。現在まで100本以上の作品に出演している。
◆ジャン・ロシュフォールの作品を検索する
#映画の部屋
「パリ空港の人々(1993年)」。原題は「Tombes du Ciel」...「空の墓場」ということか。とても気の利いたタイトルだ。
昨日に「髪結いの亭主」(http://room7.blog.so-net.ne.jp/2008-07-13)に続いて、ジャン・ロシュフォールが主演。
これは、一つの家族の物語...とも言えるのだろうか?
パスポートを盗まれ、パリの空港から出られなくなった図像学者のジャン・ロシュフォールが、父親が不法滞在就労で強制送還されたアフリカから来た少年、コロンビアから強制退去させられた女性、自称元軍隊を渡り歩いた男、言葉が通じない出身不明の男...の4人が生活するトランジット・ゾーン(外国人用処理区域)に紛れ込み、彼らと過ごした数日間を描いている。
コロンビアの女性が、アフリカの少年に「起きて、靴を履いて食事にいらっしゃい」とかける声や表情、新年のパリの明かりを見ながら少年の肩を抱き寄せる仕草、それらは母親が子供に対する態度そのものではないか。
4人は自身の孤独を抱えながらも、助け合いながら一つの部屋で生きていた。
そうして考えると、元軍人は「昔に思いを馳せるたよりないお父さん」で、コロンビアの女性は「しつけに厳しく一家を支えるお母さん」、アフリカの子供は「素直に夢を持って生きるしっかりものの子供」、出身不明の男は「よくわからないけれど、しっかりと生活感を持って生きてきたお祖父ちゃん」...という感じなのだろうか。そこへお父さんの友達のジャン・ロシュフォールが訪ねてきて...と現代ならではの家族の形を持ったホーム・ドラマにもなりそうだが...実は、現実は厳しい...ということも笑いとペーソスを織り交ぜながら教えてくれる。
明日、アフリカの子供が強制退去させられるという夜、パリでの夢を捨てきれない子供が沈んでいる。ジャン・ロシュフォールは、パリにいながら空港から出ることができずパリを見たことがない少年のために、玩具やロウソクを使って、卓上にパリを再現する。子供に対する思いのこもった言葉に、周りに大人たちも心を通わせていく。この子のために空港を抜け出してパリを見せてやろう。私の好きなシーンだ。
新年に成ったばかりのパリの明かりは、彼らの心を素直にし、本心が溢れ出てくる。そんな運命を抱えてしまった人々に対するジャン・ロシュフォールのかける一言一言が思いやりに満ちている。
ジャン・ロシュフォール自身も、彼らと暮らす数日間で大きく変わっていたのかもしれないが,,,もともとそうした素養を持っていたに違いない。
出身不明の男の素性に対して興味を持ち、コミュニケーションを成立させようとしたのは、ジャン・ロシュフォールしかいない。彼の出身が、数百年前に滅んだ部族であることを知り(そういう意味では故郷が消失した彼が一番の孤独を抱えていたのかもしれない)、また気持ちを通じ合わせたのもジャン・ロシュフォールしかいなかった。
新年の夜の出来事も、ジャン・ロシュフォールが起こした奇跡なのだろう。ラスト、ジャン・ロシュフォールの手を握る子供の手も、しっかりと離さないでいてくれるに違いない。
同じフランスの国籍を持ち、同じフランス語を話す空港の職員や警察とは、コミュニケーションが成立せず、トランジット・ゾーン(外国人用処理区域)の人々と心を通わせるというのも皮肉が利いている。
監督・脚本のフィリップ・リオレは、ミシェル・ドヴィル、コリーヌ・セロー、ロバート・アルトマンらの録音技師を経て、38歳で監督に転じたという。この映画の製作に際して、実際にパリ空港に住んでいる人々をモデルに脚本を書いたという。
◆映画の解説
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD16860/index.html
http://www.cinemacafe.net/movies/cgi/18929/
フィリップ・リオレ(Philippe Lioret/1955.10.10〜 ) フランスの映画監督。
◆フィリップ・リオレの作品を検索する
ジャン・ロシュフォール(Jean Rochefort/1930.4.29〜 )フランスの俳優。現在まで100本以上の作品に出演している。
◆ジャン・ロシュフォールの作品を検索する
#映画の部屋
takagakiさん、takemoviesさん、nice! をありがとうございます。
by room7 (2008-07-14 22:04)