ニック・ドレイクも聴く [ 人の部屋/しりとり]
◆人名しりとり...に
ニック・ドレイク(Nick Drake/1948.6.19〜1974.11.25)ビルマ(現ミャンマー)生まれのイギリスのシンガーソングライター。生前は商業的成功に恵まれず、3枚のアルバムを残して他界するが、死後に評価が高まる。
ケンブリッジ大学フィッツウィリアム・カレッジに在学中、フェアポート・コンヴェンションのアシュレー・ハッチングスに見出され、それがきっかけでアイランド・レコードと契約し、1969年9月にアルバム『ファイヴ・リーヴス・レフト』でデビュー(Rizlaという紙巻きタバコの最後から5枚目の巻紙に印刷されている言葉「残り5枚」の意味)。
ギターの弾き語りを中心としているが、一部の楽曲にリチャード・トンプソン(フェアポート・コンヴェンション)やダニー・トンプソン(ペンタングル)が参加。また、ストリングスのアレンジは、ケンブリッジ大学でニックと親交のあったロバート・カービーが担当。
デビュー後、ニックはケンブリッジ大学を中退し、ロンドンに引っ越す。1970年11月に2作目『ブライター・レイター』発表。フェアポート・コンヴェンションのメンバーや、ジョン・ケイル(元ヴェルヴェット・アンダーグラウンド)等が参加した。ニックは、既に音楽評論家からは高い評価を得ていたが、アルバムの売り上げには結びつかなかった。
その後、ニックは両親の所に戻るが、うつ病が悪化。1971年に3作目『ピンク・ムーン』のレコーディングを行った頃には、しゃべることさえ難しくなっていたという。同作は、ニックの「飾りは何もいらない」という意向により、ニック自身の歌とギターとピアノだけで制作され、1972年2月に発表された。
その後ニックは、短期間だけ録音スタジオの仕事に就き、音楽活動も細々と続け、1974年にはレコーディングも行っている。その時の録音は、ニックの死後に未発表曲集『タイム・オブ・ノー・リプライ』に収録されて日の目を見た。
1974年11月25日、自宅のニックの部屋で、母モーリーによってニックの死体が発見される。死因は抗うつ薬の過剰服用。遺書はなく、自殺か事故なのかも明らかになっていない。(http://ja.wikipedia.org/wiki/ニック・ドレイク)
ここら辺りは、今まで全然聞いてこなかったので、YouTubeで聞いてみる。
Saturday Sun
Pink Moon
From The Morning
A day once dawned, and it was beautiful.
A day once dawned from the ground
Then the night she fell
And the air was beautiful
The night she fell all around.
So look see the days
The endless coloured ways
And go play the game that you learnt
From the morning.
And now we rise
And we are everywhere
And now we rise from the ground
And see she flies
And she is everywhere
See she flies all around
So look see the sights
The endless summer nights
And go play the game that you learnt
From the morning
イザベル・アジャーニ...アイドル+∞ [ 人の部屋/しりとり]
◆人名しりとり...い
イザベル・アジャーニ(Isabelle Adjani/1955.6.27〜 )フランスの女優。
初めてアデルを見た時、この映画は彼女なしでは成り立たない...と思った。カミーユ・クローデルなんかもそう感じた。
リュック・ベッソンのサブウェイ、ズラウスキーのポッゼション、パトリス・シェローのマルゴ、ジャン・ベッケルの殺意の夏...どれも、ものすごい。肉体を使っての表現というものが、ここまで可能...という見方もできるし、全体のテンションを操る術は、役者が握っている...という風にも見れる。
その一方で、ドライバーのような映画にも出ているし(若い頃のことだが)、イブラヒムおじさんのような映画にも出ている(年取ってからのことだが...驚きである)。
◆ イザベル・アジャーニの作品を検索
◆イザベル・アジャーニで検索
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イザベル・アジャーニ(Isabelle Adjani/1955.6.27〜 )フランスの女優。
初めてアデルを見た時、この映画は彼女なしでは成り立たない...と思った。カミーユ・クローデルなんかもそう感じた。
リュック・ベッソンのサブウェイ、ズラウスキーのポッゼション、パトリス・シェローのマルゴ、ジャン・ベッケルの殺意の夏...どれも、ものすごい。肉体を使っての表現というものが、ここまで可能...という見方もできるし、全体のテンションを操る術は、役者が握っている...という風にも見れる。
その一方で、ドライバーのような映画にも出ているし(若い頃のことだが)、イブラヒムおじさんのような映画にも出ている(年取ってからのことだが...驚きである)。
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ダニー・ハサウェイを聴く [ 人の部屋/しりとり]
◆人名しりとり...だ
ダニー・ハサウェイ(Donny Hathaway/1945.10.1〜1979.1.13)アメリカのミュージシャン、シンガーソングライター。
ブログを続けることは、本当に勉強になる。特に「人名しりとり」は、これまで特に詳しく知ることのなかった人と出会うことができる。しかも、YouTubeを利用することで、何曲か聞いたりすることもできてしまう。
Put Your Hands In The Hand
Put your hand in the hand of the man who stilled the water
Put your hand in the hand of the man who calmed the sea
Take a look at yourself, & you can look at others diff'rently
Put your hand in the hand of the man from Galilee
Every time I look into the Holy Book, I wanna tremble
when I read about the part where a carpenter cleared the temple
See those buyers and the sellers were no diff'rent fellas
Than what you & I profess to be
And it causes me shame to know that man is not what he should be
Put your hand in the hand of the man who stilled the water
Put your hand in the hand of the man who calmed the sea
Take a look at yourself, & you can look at others diff'rently
Put your hand in the hand of the man from Galilee
Hey, my mama taught me how to pray, before I reached the age of seven
When i'm down on my knees, hey, i'm close to heaven."
My daddy lived his life with 2 kids & a wife
& you've got to do what you've got to do
but he showed me enough of what it takes to see you through
this is what he used to tell me...
Put your hand in the hand of the man who stilled the water
Put your hand in the hand of the man who calmed the sea
Ya got'a take a good look at yourself, & you can look at others diff'rently
Put your hand in the hand of the man from Galilee
しりとり、再開、ライ・クーダー... [ 人の部屋/しりとり]
人名しりとりを、静かに再開。
◆人名しりとり...ら
ライ・クーダー(Ry Cooder/1947.3.15〜 )アメリカのギタリスト、歌手、作曲家。スライド・ギターの名手。
ライ・クーダーというと、どこからともなく、ヴィム・ヴェンダースの映像がよみがえってくる。
こんなのや
こんなの...
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◆人名しりとり...ら
ライ・クーダー(Ry Cooder/1947.3.15〜 )アメリカのギタリスト、歌手、作曲家。スライド・ギターの名手。
ライ・クーダーというと、どこからともなく、ヴィム・ヴェンダースの映像がよみがえってくる。
こんなのや
こんなの...
グスタフ・マーラーを1曲 [ 人の部屋/しりとり]
◆人名しりとり...ぐ
グスタフ・マーラー(Gustav Mahler/1860.7.7〜1911.5.18)ボヘミア(現チェコ)生まれのオーストリアの作曲家、指揮者。
子供の頃、「マーラーはワルターで聴かなければいけない。」と言われる一方で、ヴィスコンティの「ベニスに死す」を見なければならず、そうこうしているいるうちにケン・ラッセルが登場し、マーラー夫人とグロピウスの情事を知るとなると、それはもう、頭の中は大騒ぎ。
でも、音楽って、そんなこと何一つ関係ないんですよね。
ブルーノ・ワルターが指揮する「交響曲第5番」
レナード・バーンスタインが指揮する「交響曲第1番 巨人」
2曲になってしまった。
グスタフ・マーラーの作品を検索
◆グスタフ・マーラーでググってみる
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グスタフ・マーラー(Gustav Mahler/1860.7.7〜1911.5.18)ボヘミア(現チェコ)生まれのオーストリアの作曲家、指揮者。
子供の頃、「マーラーはワルターで聴かなければいけない。」と言われる一方で、ヴィスコンティの「ベニスに死す」を見なければならず、そうこうしているいるうちにケン・ラッセルが登場し、マーラー夫人とグロピウスの情事を知るとなると、それはもう、頭の中は大騒ぎ。
でも、音楽って、そんなこと何一つ関係ないんですよね。
ブルーノ・ワルターが指揮する「交響曲第5番」
レナード・バーンスタインが指揮する「交響曲第1番 巨人」
2曲になってしまった。
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◆グスタフ・マーラーでググってみる
ステファン・ヒーレンバーグ...海洋資源とスポンジ・ボブ [ 人の部屋/しりとり]
ステファン・ヒーレンバーグ(Stephen Hillenburg/1961.8.21〜 ) アメリカのアニメーター
昨今、我が家の木曜日の午後7時は、NHK教育のチャンネルに合わされている。「○○講座」でも「趣味の○○」でもなく、「スポンジ・ボブ(Sponge Bob)」だ。
NHK教育のアニメの充実度は素晴らしく、我が家の長男を虜にしている。
そんな、我が家を席巻中の「スポンジ・ボブ」の制作者が、ステファン・ヒーレンバーグだ。
◆NHK教育 スポンジ・ボブのサイト
http://www3.nhk.or.jp/anime/spongebob/
ステファン・ヒーレンバーグは、1984年にフンボルト州立大学で天然資源(海洋資源)に関しての学位を取得、卒業後は海洋生物学の教師となり、 1984〜1987年の間には、海洋生物学者として働いた。
1987年、アニメーターになることを決意し、1992年には、カリフォルニア芸術大学の実験アニメーションの美術学修士号を獲得している。
在学時にからいくつかの短編映画を作品を発表していて、国際アニメーションフェスティバルで「The Green Beret (1991)」「Wormholes (1992) 」の2つの作品が受賞している。また、他のいくつかのショートフィルム・フェスティバルでも受賞している。
また、在学時から(1991〜1993)テレビシリーズの「 Mother Goose & Grimm」の仕事も手がけている。
その後、いくつかのアニメーションを手がけた後、1999年に「スポンジ・ボブ」をスタートさせている。
「スポンジ・ボブ」が、海洋生物学に携わっていた時代に描いていた漫画が元になっているというあたり...とても興味深い。海の中を、とても楽しく眺めていたんだろうな...海を眺めていてスポンジ...ある意味リアルだ。
すごいアイテム数...人気なんですね...。
■ 目次 ■ メインサイト ■ ゲストブック ■
昨今、我が家の木曜日の午後7時は、NHK教育のチャンネルに合わされている。「○○講座」でも「趣味の○○」でもなく、「スポンジ・ボブ(Sponge Bob)」だ。
NHK教育のアニメの充実度は素晴らしく、我が家の長男を虜にしている。
そんな、我が家を席巻中の「スポンジ・ボブ」の制作者が、ステファン・ヒーレンバーグだ。
◆NHK教育 スポンジ・ボブのサイト
http://www3.nhk.or.jp/anime/spongebob/
ステファン・ヒーレンバーグは、1984年にフンボルト州立大学で天然資源(海洋資源)に関しての学位を取得、卒業後は海洋生物学の教師となり、 1984〜1987年の間には、海洋生物学者として働いた。
1987年、アニメーターになることを決意し、1992年には、カリフォルニア芸術大学の実験アニメーションの美術学修士号を獲得している。
在学時にからいくつかの短編映画を作品を発表していて、国際アニメーションフェスティバルで「The Green Beret (1991)」「Wormholes (1992) 」の2つの作品が受賞している。また、他のいくつかのショートフィルム・フェスティバルでも受賞している。
また、在学時から(1991〜1993)テレビシリーズの「 Mother Goose & Grimm」の仕事も手がけている。
その後、いくつかのアニメーションを手がけた後、1999年に「スポンジ・ボブ」をスタートさせている。
「スポンジ・ボブ」が、海洋生物学に携わっていた時代に描いていた漫画が元になっているというあたり...とても興味深い。海の中を、とても楽しく眺めていたんだろうな...海を眺めていてスポンジ...ある意味リアルだ。
SPONGE BOB BATTLE FOR BIKINI BOTTOM
- 出版社/メーカー: シンアイ商会
- メディア: CD-ROM
すごいアイテム数...人気なんですね...。
”スー”。本当はスーザン・ヘンドリクソン [ 人の部屋/しりとり]
◆人名しりとり...す
スー(スーザン・ヘンドリクソン/Susan Hendrickson/1949.12.2〜 )アメリカの古生物学者。探検家。シカゴ生まれ。
スーザン・ヘンドリクソンは世界最大の肉食恐竜ティラノサウルスの最も完全な化石発掘で知られている(全長12.8m、全身の90%以上の骨がそろっている)。このティラノサウルスには発見したスーザンに因んで、「スー(Sue)」という名前がつけられ、シカゴの自然史博物館に展示されている。
数年前の愛知万博の際、名古屋のサテライト会場に展示され、保育園児の息子に連れられて見に行った。ショーアップされ、そしてなにより大きさを感じた。
◆恐竜博2005のサイト
http://www.kahaku.go.jp/exhibitions/ueno/special/2005/dinosaur2005/
スーザン・ヘンドリクソンは、しばしばインディ・ジョーンズのような架空の英雄と比較される。 子供の頃は、ドストエフスキーを読むような子供だったらしい。
高校を落第し、中退してしまう。その後、優れたダイバーとして、水族館のために海洋生物の標本を提供したりしていた。中には、新種の発見もあったようだ。彼女は、何が珍しいものであるかの判断を独学でやってのけている。
その後、琥珀の中の昆虫化石を扱い、素晴らしいものは博物館などに売って、知識を身につけていきます(お金や名声ではなく)。
有名な化石ハンター、ピーター・ラーソンと共に仕事をし、恐竜ハンターとしてのやりかたを学び、1990年8月の「スー」発見へと繋がる。
今日、彼女が発見した「スー」の巨大な化石標本はシカゴの自然史博物館のメインの展示物となっている。
そして、大学には行っていないけど、主要な大学から名誉学位をもらっている。
◆スーザン・ヘンドリクソンのオフィシャルサイト
http://sue-hendrickson.net/
◆スーザン・ヘンドリクソンの作品を検索
◆スーザン・ヘンドリクソンでググってみる
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スー(スーザン・ヘンドリクソン/Susan Hendrickson/1949.12.2〜 )アメリカの古生物学者。探検家。シカゴ生まれ。
スーザン・ヘンドリクソンは世界最大の肉食恐竜ティラノサウルスの最も完全な化石発掘で知られている(全長12.8m、全身の90%以上の骨がそろっている)。このティラノサウルスには発見したスーザンに因んで、「スー(Sue)」という名前がつけられ、シカゴの自然史博物館に展示されている。
数年前の愛知万博の際、名古屋のサテライト会場に展示され、保育園児の息子に連れられて見に行った。ショーアップされ、そしてなにより大きさを感じた。
◆恐竜博2005のサイト
http://www.kahaku.go.jp/exhibitions/ueno/special/2005/dinosaur2005/
スーザン・ヘンドリクソンは、しばしばインディ・ジョーンズのような架空の英雄と比較される。 子供の頃は、ドストエフスキーを読むような子供だったらしい。
高校を落第し、中退してしまう。その後、優れたダイバーとして、水族館のために海洋生物の標本を提供したりしていた。中には、新種の発見もあったようだ。彼女は、何が珍しいものであるかの判断を独学でやってのけている。
その後、琥珀の中の昆虫化石を扱い、素晴らしいものは博物館などに売って、知識を身につけていきます(お金や名声ではなく)。
有名な化石ハンター、ピーター・ラーソンと共に仕事をし、恐竜ハンターとしてのやりかたを学び、1990年8月の「スー」発見へと繋がる。
今日、彼女が発見した「スー」の巨大な化石標本はシカゴの自然史博物館のメインの展示物となっている。
そして、大学には行っていないけど、主要な大学から名誉学位をもらっている。
◆スーザン・ヘンドリクソンのオフィシャルサイト
http://sue-hendrickson.net/
◆スーザン・ヘンドリクソンの作品を検索
◆スーザン・ヘンドリクソンでググってみる
Hunt for the Past: My Life As an Explorer (A Dinosaur Named Sue)
- 作者: Sue Hendrickson
- 出版社/メーカー: Cartwheel Books
- 発売日: 2001/06
- メディア: ペーパーバック
A T. Rex Named Sue: Sue Hendrickson's Huge Discovery (Fossil Hunters)
- 作者: Natalie Lunis
- 出版社/メーカー: Bearport Publishing
- 発売日: 2006/08
- メディア: 図書館
どこかで...ニッキー・ホプキンス [ 人の部屋/しりとり]
◆人名しりとり...に
ニッキー・ホプキンス(Nicky Hopkins/1944.2.24〜1994.9.6)イギリスのミュージシャン。キーボードプレーヤー。
ビートルズにローリングストーンズ、ザ・フーにキンクス、そしてジェフ・ベックにジョン・レノン。ブリティッシュロックの確立に大きく貢献したキーボードプレーヤー。知らないうちに、どこかで一度は聞いたことがあるのでは?
病気のためにスタジオミュージシャンの道を選んだニッキー・ホプキンス。参加した曲の一覧(http://ja.wikipedia.org/wiki/ニッキー・ホプキンス)
彼のソロとしてのナンバー
インタビュー
ニッキー・ホプキンスの作品を検索
◆ニッキー・ホプキンスでググってみる
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ニッキー・ホプキンス(Nicky Hopkins/1944.2.24〜1994.9.6)イギリスのミュージシャン。キーボードプレーヤー。
ビートルズにローリングストーンズ、ザ・フーにキンクス、そしてジェフ・ベックにジョン・レノン。ブリティッシュロックの確立に大きく貢献したキーボードプレーヤー。知らないうちに、どこかで一度は聞いたことがあるのでは?
病気のためにスタジオミュージシャンの道を選んだニッキー・ホプキンス。参加した曲の一覧(http://ja.wikipedia.org/wiki/ニッキー・ホプキンス)
ザ・フー:『マイ・ジェネレイション』(1965)「The Song Is Over」(1971)
ザ・キンクス:『キンク・コントラヴァーシー』(1965)『フェイス・トゥ・フェイス』(1966)「Mr. Pleasant」(1967)「Village Green」(1968)「Berkeley Mews」(1968)
ジェフ・ベック:「Beck's Bolero」(1967)『トゥルース』(1967)
T・レックス:「Jasper C. Debussy」(1966-7, released 1974)
ローリング・ストーンズ:「She's A Rainbow」(1967)「Sympathy for the Devil」(1968)『ベガーズ・バンケット』(1968)「Gimme Shelter」(1969)「Live With Me」(1969)「Monkey Man」(1969)「Sister Morphine」(1970)「Tumbling Dice」(1972)「Angie」(1973)
ビートルズ:「レボリューション (ビートルズ)」(single version) (1968)
『ジャミング・ウィズ・エドワード』(recorded 1969, released 1972)
クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス:「Shady Grove」「Edward (the Mad Shirt Grinder)」「Spindrifter」
ジェファーソン・エアプレイン:「Volunteers」(1969)「Eskimo Blue Day」(1969)
ジョン・レノン:「Jealous Guy」(1971)
ジョー・コッカー:「You Are So Beautiful」(1974)
彼のソロとしてのナンバー
インタビュー
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毎日が、トニー谷 [ 人の部屋/しりとり]
◆人名しりとり...と
トニー 谷(とにー たに/1917.10.14〜1987.7.16)東京出身のヴォードヴィリアン。
もっとも、私が知っているトニー谷は、せいぜいが拍子木を持っているトニー谷で、50年代の全盛期を体験しているわけではない。「あなたのおなまえ、なんて〜の」は、YouTubeで見つけることはできなかった。
子供のおフザケは、棒状のものを2本もって「あなたのおなまえ、なんて〜の」をするか、写真撮影時にイヤミ(トニー谷に触発されて、赤塚不二夫が生み出したキャラクター)の「シェ〜〜」をするのが定番となっていた時代。毎日がトニー谷だった。
見事なそろばんさばき。
埋め込みができないので...
http://jp.youtube.com/watch?v=vzgKgaxUzZc
さいざんすマンボ
ブクブクマンボ
トニー谷の作品を検索
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トニー 谷(とにー たに/1917.10.14〜1987.7.16)東京出身のヴォードヴィリアン。
もっとも、私が知っているトニー谷は、せいぜいが拍子木を持っているトニー谷で、50年代の全盛期を体験しているわけではない。「あなたのおなまえ、なんて〜の」は、YouTubeで見つけることはできなかった。
子供のおフザケは、棒状のものを2本もって「あなたのおなまえ、なんて〜の」をするか、写真撮影時にイヤミ(トニー谷に触発されて、赤塚不二夫が生み出したキャラクター)の「シェ〜〜」をするのが定番となっていた時代。毎日がトニー谷だった。
見事なそろばんさばき。
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シドーニー・ルメットの怒れる男たち [ 人の部屋/しりとり]
◆人名しりとり...し
シドニー・ルメット(Sidney Lumet/1924.6.25〜 )アメリカの映画監督。
シドーニー・ルメットは、4歳頃から子役としてテレビや映画に出演している。戦後はオフ・ブロードウェイにも参加していた。
そんなシドニー・ルメットが、俳優活動に飽き足らなくなってテレビドラマの演出に進出し、その後5年間に約500本の作品を演出したという...彼はプロだ。
そして、はじめて映画を監督したのが、1957年の「十二人の怒れる男(12 Angry Men)」ということになる。
はじめての監督作品ではあるが、映画の世界は十二分に知り尽くしているシドーニー・ルメットが監督し、さらに、テレビシリーズの映画化(テレビでもルメットが演出している)ということで、この作品は非常に完成度が高く、この手の映画(法廷劇?)のお手本のような存在となっている(この作品を越えるこの手の作品には、まだ出会っていない)。
観客に対して、必要な情報を分かりやすく、誤解ないように伝え、観客の感情を徐々に引き出していく。
主演ヘンリー・フォンダ(Henry Fonda)。原作・脚本はレジナルド・ローズ(Reginald Rose)。
◆「十二人の怒れる男」の解説
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD4407/index.html
http://www.cinemacafe.net/movies/cgi/19122/
◆51分間「十二人の怒れる男」を見ることができる
http://video.google.com/videoplay?docid=1802597261513426685
その後も、「セルピコ」や「狼たちの午後」など、ハードな社会を描いた優れた映画を残してきている一方で、「オリエント急行殺人事件」や「ファミリービジネス」など、ツボを押さえた娯楽作品も。
昨年久しぶりに監督した「その土曜日、7時58分(Before the Devil Knows You're Dead)」が現在公開中のようだ。私はまだ見ていないが...やはりプロの仕事をしているようだ。
◆「その土曜日、7時58分」の公式サイト
http://www.doyoubi758.jp/
◆「その土曜日、7時58分」の解説
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD13175/index.html
http://www.cinemacafe.net/movies/cgi/21631/
◆シドニー・ルメットの作品を検索
◆シドニー・ルメットでググってみる
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シドニー・ルメット(Sidney Lumet/1924.6.25〜 )アメリカの映画監督。
シドーニー・ルメットは、4歳頃から子役としてテレビや映画に出演している。戦後はオフ・ブロードウェイにも参加していた。
そんなシドニー・ルメットが、俳優活動に飽き足らなくなってテレビドラマの演出に進出し、その後5年間に約500本の作品を演出したという...彼はプロだ。
そして、はじめて映画を監督したのが、1957年の「十二人の怒れる男(12 Angry Men)」ということになる。
はじめての監督作品ではあるが、映画の世界は十二分に知り尽くしているシドーニー・ルメットが監督し、さらに、テレビシリーズの映画化(テレビでもルメットが演出している)ということで、この作品は非常に完成度が高く、この手の映画(法廷劇?)のお手本のような存在となっている(この作品を越えるこの手の作品には、まだ出会っていない)。
観客に対して、必要な情報を分かりやすく、誤解ないように伝え、観客の感情を徐々に引き出していく。
主演ヘンリー・フォンダ(Henry Fonda)。原作・脚本はレジナルド・ローズ(Reginald Rose)。
◆「十二人の怒れる男」の解説
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD4407/index.html
http://www.cinemacafe.net/movies/cgi/19122/
◆51分間「十二人の怒れる男」を見ることができる
http://video.google.com/videoplay?docid=1802597261513426685
その後も、「セルピコ」や「狼たちの午後」など、ハードな社会を描いた優れた映画を残してきている一方で、「オリエント急行殺人事件」や「ファミリービジネス」など、ツボを押さえた娯楽作品も。
昨年久しぶりに監督した「その土曜日、7時58分(Before the Devil Knows You're Dead)」が現在公開中のようだ。私はまだ見ていないが...やはりプロの仕事をしているようだ。
◆「その土曜日、7時58分」の公式サイト
http://www.doyoubi758.jp/
◆「その土曜日、7時58分」の解説
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD13175/index.html
http://www.cinemacafe.net/movies/cgi/21631/
シドーニー・ルメットの主な監督作品
その土曜日、7時58分(2007)
グロリア(1998)
NY<ニューヨーク>検事局(1997)
ギルティ 罪深き罪(1993)
刑事エデン 追跡者(1992)
Q&A(1990)
ファミリービジネス(1989)
旅立ちの時(1988)
キングの報酬(1986)
モーニングアフター(1986)
ガルボトーク 夢のつづきは夢・・・(1984)
評決(1982)
デストラップ 死の罠(1982)
プリンス・オブ・シティ(1981)
エクウス(1978)
ウイズ(1978)
ネットワーク(1976)
狼たちの午後(1975)
オリエント急行殺人事件(1974)
セルピコ(1973)
ショーン・コネリー 盗聴作戦(1971)
約束(1969)
丘(1965)
質屋(1964)
未知への飛行(1964)
橋からの眺め(1962)
蛇皮の服を着た男(1960)
私はそんな女(1959)
女優志願(1958)
十二人の怒れる男(1957)
◆シドニー・ルメットの作品を検索
◆シドニー・ルメットでググってみる