日本の神々/谷川 健一 [ 本の部屋]
今、私たちが「神」と理解しているものは、かつてはもっと流動的で、祖霊(タマ)や妖怪(モノ)と呼ばれていたようだ。自然も死ももっと身近で、今、実際目の前に見えている世界の中で完結していた。
「日本の神々」の”はじめに”は、「戦後の日本人が神々のことをかえりみなくなった頃、私は民俗学を通して、日本人の信仰の原型を追求することをはじめた。戦時中の狂熱的な神がかりを最も嫌悪し忌避していた私が、戦後になって日本の神の発見を志したというのは、まさに時代に逆行しているように見えるかも知れない。しかしそれは私にとって必然的な道程であった。私の戦後史は、一日本人が日本に最接近しようとして模索をつづけた、たどたどしい軌跡である。」で結ばれている。
谷川 健一(たにがわ けんいち/1921.7.28〜 )民俗学者、地名学者、作家。
平凡社の編集者として、『風土記日本』(1957 - 60年)、『日本残酷物語』(1959 - 61年)などを企画編集し、1963年創刊の『太陽』初代編集長を務める。
その後執筆活動に入り、1966年、『最後の攘夷党』で直木賞候補になる。1970年代には『青銅の神の足跡』や『鍛冶屋の母』などを発表し、民俗事象と文献資料に独自の分析を加え、柳田國男や折口信夫らを批判的に展開させた。柳田の提唱した「日本民俗学」がのち組織化が進み善かれ悪しかれ学術化、専門科学化していったのに対し、谷川は、在野精神を貫き学会と距離をとった独自の執筆活動を進めた。日本史の網野善彦、文化人類学の大林太良、民俗学の宮田登、考古学の森浩一らと共同編集した『海と列島文化』(全10巻、小学館)は日本像を決定的に変革した金字塔となった。(http://ja.wikipedia.org/wiki/谷川健一)
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「日本の神々」の”はじめに”は、「戦後の日本人が神々のことをかえりみなくなった頃、私は民俗学を通して、日本人の信仰の原型を追求することをはじめた。戦時中の狂熱的な神がかりを最も嫌悪し忌避していた私が、戦後になって日本の神の発見を志したというのは、まさに時代に逆行しているように見えるかも知れない。しかしそれは私にとって必然的な道程であった。私の戦後史は、一日本人が日本に最接近しようとして模索をつづけた、たどたどしい軌跡である。」で結ばれている。
谷川 健一(たにがわ けんいち/1921.7.28〜 )民俗学者、地名学者、作家。
平凡社の編集者として、『風土記日本』(1957 - 60年)、『日本残酷物語』(1959 - 61年)などを企画編集し、1963年創刊の『太陽』初代編集長を務める。
その後執筆活動に入り、1966年、『最後の攘夷党』で直木賞候補になる。1970年代には『青銅の神の足跡』や『鍛冶屋の母』などを発表し、民俗事象と文献資料に独自の分析を加え、柳田國男や折口信夫らを批判的に展開させた。柳田の提唱した「日本民俗学」がのち組織化が進み善かれ悪しかれ学術化、専門科学化していったのに対し、谷川は、在野精神を貫き学会と距離をとった独自の執筆活動を進めた。日本史の網野善彦、文化人類学の大林太良、民俗学の宮田登、考古学の森浩一らと共同編集した『海と列島文化』(全10巻、小学館)は日本像を決定的に変革した金字塔となった。(http://ja.wikipedia.org/wiki/谷川健一)
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翠川与志木さん、nice! をありがとうございます。
by room7 (2008-12-11 06:13)
takagakiさん、nice! をありがとうございます。
by room7 (2008-12-15 22:41)