祭りのあと...のちょっと前 [ ? の部屋]
夕方5時過ぎになると駐車場の料金がただになる...という風の噂で、
黄砂が舞って、はっきりしない景色の中、誕生日の義母を連れて公園へ。
普段は無料の駐車場が、千円を徴収するこの季節、5時を過ぎても人の出はそこそこある。
その人の出を当て込んで屋台もそこそこある。
屋台は閉じかけている。でも、そこそこの人の出のため、そこそこの閉じ模様である。
お化け屋敷は閉じていた。少し心引かれた。
人気はやはり、嵐とAKBなのか?
昼間は何かイベントが開かれていたのだろうか?
開いていたり
閉じていたり
祭りの最中でもなく、祭りのあとでもなく。
晴れでもなく、雨でもなく、でも曇りでもない...例えようのない天気。
子供たちは、そんなこと関係なく金魚すくいをせがむ。300円。。。
黄砂が舞って、はっきりしない景色の中、誕生日の義母を連れて公園へ。
普段は無料の駐車場が、千円を徴収するこの季節、5時を過ぎても人の出はそこそこある。
その人の出を当て込んで屋台もそこそこある。
屋台は閉じかけている。でも、そこそこの人の出のため、そこそこの閉じ模様である。
お化け屋敷は閉じていた。少し心引かれた。
人気はやはり、嵐とAKBなのか?
昼間は何かイベントが開かれていたのだろうか?
開いていたり
閉じていたり
祭りの最中でもなく、祭りのあとでもなく。
晴れでもなく、雨でもなく、でも曇りでもない...例えようのない天気。
子供たちは、そんなこと関係なく金魚すくいをせがむ。300円。。。
ソマリアの太古の洞窟画...太古の壁画の持つ意味 [ ? の部屋]
ラース・ゲール(Laas Geel:ソマリア)の洞窟には、約5000年前の牛飼いたちが4色で描いた、村の生活の様子がある。
「ラクダが水を飲む穴」という名の地名で、かつては、この一帯が緑に覆われ、野生動物の宝庫であったことを物語っている。
これらの壁画は、岩の劣化や天候の影響で消滅の危機にあるという。
写真を見ると、洞窟と言っても奥深く暗い...といったイメージのものとは違いそうだ。
壁画そのものがよく見えないので、Wikipediaから...
抽象芸術。。。
以前紹介した映画「イングリッシュ・ペイシェント」の中にも砂漠の壁画が登場する。
■http://room7.blog.so-net.ne.jp/2011-03-03-1
タッシリ・ナジェール(Tassili n'Ajjer:アルジェリア)の洞窟壁画で、紀元前約7000年頃から8000年にかけて描かれてきたもの。今から約1万年前の壁画ということになる。
タッシリ・ナジェールの壁画には、川で泳ぐ人々が描かれていて、やはり水が豊富な地域だったことがわかる。
(写真はユーラシア旅行社ののサイトから:http://www.eurasia.co.jp/search/feature/argerie/index.html)
豊かな自然を基盤とした豊かな生活。。。人々は、もともとそんな所に住んでいた。
自然環境が変化すれば、別の所へ移動しながら生き抜いていく。
壁画という痕跡だけがこんな形で残っていく。
やがて原発は、痕跡としては残るだろうが、人々は別の所へ移動してでも生き抜いていく。
Wikipediaによると「ラース・ゲール(ラス・ケール、ソマリ語: Laas Geel, Laas Gaal)はソマリランド首都ハルゲイサの近郊農村地帯にある洞窟。」とあるが、Googlemapで検索すると、ハルゲイサから200km以上離れているように見える。。。
タッシリ・ナジェール(Tassili n'Ajjer)はこのあたり。。。
M50(上海) [ ? の部屋]
小鳥のさえずりに目を覚ます [ ? の部屋]
上海のホテルでは、朝の5時過ぎに、小鳥のさえずりで目を覚ましていた。
エアコンは切ってあったが、窓は閉めていた(それはつまり...防音性が低いということ?...小鳥の声が大きいということ?)。
街を歩いていても、ビルの植栽が深い所などでは、大きな小鳥の鳴き声にビックリしたりした(小鳥ではないのか?)。
ひょっとして録音したテープ(メモリ)を再生しているのか??? と思ったりもしてみたが(中国ならあるかも...と...)、小鳥の姿を見つけ(疑ったりしてごめんなさい)、再度ビックリする。
中国では、鳥を美しい声で鳴かせるために、鳥籠に入れて公園に連れて行ったりすると聞いたことがあるが、そのせいか、野生の鳥も美しい声でさえずる。
こちらに帰ってきて、近所のそこそこ大きい公園に出かけたが、目立ったさえずりはあまり聞こえてこなかった。(水のきれいな所では小鳥を見かけたが、池の水は濁っていて、そこにはいなかった。)
カラスがいたせいか? そういえば、上海でカラスは見かけなかった。
エアコンは切ってあったが、窓は閉めていた(それはつまり...防音性が低いということ?...小鳥の声が大きいということ?)。
街を歩いていても、ビルの植栽が深い所などでは、大きな小鳥の鳴き声にビックリしたりした(小鳥ではないのか?)。
ひょっとして録音したテープ(メモリ)を再生しているのか??? と思ったりもしてみたが(中国ならあるかも...と...)、小鳥の姿を見つけ(疑ったりしてごめんなさい)、再度ビックリする。
中国では、鳥を美しい声で鳴かせるために、鳥籠に入れて公園に連れて行ったりすると聞いたことがあるが、そのせいか、野生の鳥も美しい声でさえずる。
こちらに帰ってきて、近所のそこそこ大きい公園に出かけたが、目立ったさえずりはあまり聞こえてこなかった。(水のきれいな所では小鳥を見かけたが、池の水は濁っていて、そこにはいなかった。)
カラスがいたせいか? そういえば、上海でカラスは見かけなかった。
人民広場(上海) [ ? の部屋]
静安寺(上海) [ ? の部屋]
静安寺公園の北側にある静安寺(静安寺の南には静安寺公園がある。。。が正しい表現?)。
高速道路下の歩道橋に上がると、こんな感じで見える。
境内の中は、こんな感じだ。
観光客も訪れるが、ざわついた感じはしない。
正面の階段を上らなくても、お顔を拝見できる。
中では、このように完全に祈りの場だ。
回廊内にもこのような祈りの場が数カ所。。。
背後の建物は工事中だ。。。コンクリート製だが、細工は細かい。
見よう見まねで護摩炊きをした(問題ないよね? 大丈夫だよね?)。
でも周りはこんな感じなのだ。
超高層のビル群に囲まれても、負けることのない存在感。
それに、とても由緒のあるお寺なのだ。
不思議なことに、まったく違和感は感じなかった。
高速道路下の歩道橋に上がると、こんな感じで見える。
境内の中は、こんな感じだ。
観光客も訪れるが、ざわついた感じはしない。
正面の階段を上らなくても、お顔を拝見できる。
中では、このように完全に祈りの場だ。
回廊内にもこのような祈りの場が数カ所。。。
背後の建物は工事中だ。。。コンクリート製だが、細工は細かい。
見よう見まねで護摩炊きをした(問題ないよね? 大丈夫だよね?)。
でも周りはこんな感じなのだ。
超高層のビル群に囲まれても、負けることのない存在感。
それに、とても由緒のあるお寺なのだ。
不思議なことに、まったく違和感は感じなかった。
静安寺公園(上海) [ ? の部屋]
上海の中心部の西の方にある公園。周りはホテルやビジネスビル、デパートなどが建ち並んでいる。南側は高速道路、北側は静安寺という由緒あるお寺。
早朝は、散歩する人や太極拳やダンスを日課にしている人、カメラを持った観光客、それに通勤者など、様々なバックグラウンドを持った人達が、一堂に会する。
昼は、近所の一族友人、お弁当を広げるビジネスウーマン、散策を楽しむお年寄りに中学生カップル、カードゲームに興ずるおじさん達、ベンチで新聞を読む老夫婦、それに足を休めたい旅行者たちが、一堂に会する。
夜は。。。寝てしまったので分からない。
旅人を見守る怪しげな石像。
こちらの石像などは水を吐いている。
吐かれた水は池に波紋を広げ、古い楡の木から舞い降りた葉や花を揺らめかせる。
旅行者や働く人々は、その波紋を眺めながら一息つき。
子供たちは騒々しく遊ぶ。
子供と言えば遊具なのだろう。
大人と言えば太極拳。
あるいは憩いの場。
公園の管理は行き届いている。入り口には監視員が。園内には整備員が。守られた環境の中で、様々なバックグラウンドを持った人達が、安心したひと時を、いつでも味わうことができる。
インフラとは、単にものを提供するのではなく、人的労力を伴うものだということに気づかされる。
「公園にお金を使わないといけないんですか? きれいにしなければいけないんですか?」
「はい、そう思います。」
早朝は、散歩する人や太極拳やダンスを日課にしている人、カメラを持った観光客、それに通勤者など、様々なバックグラウンドを持った人達が、一堂に会する。
昼は、近所の一族友人、お弁当を広げるビジネスウーマン、散策を楽しむお年寄りに中学生カップル、カードゲームに興ずるおじさん達、ベンチで新聞を読む老夫婦、それに足を休めたい旅行者たちが、一堂に会する。
夜は。。。寝てしまったので分からない。
旅人を見守る怪しげな石像。
こちらの石像などは水を吐いている。
吐かれた水は池に波紋を広げ、古い楡の木から舞い降りた葉や花を揺らめかせる。
旅行者や働く人々は、その波紋を眺めながら一息つき。
子供たちは騒々しく遊ぶ。
子供と言えば遊具なのだろう。
大人と言えば太極拳。
あるいは憩いの場。
公園の管理は行き届いている。入り口には監視員が。園内には整備員が。守られた環境の中で、様々なバックグラウンドを持った人達が、安心したひと時を、いつでも味わうことができる。
インフラとは、単にものを提供するのではなく、人的労力を伴うものだということに気づかされる。
「公園にお金を使わないといけないんですか? きれいにしなければいけないんですか?」
「はい、そう思います。」