シジフォスの神話/アルベール・カミュ [ 本の部屋]
オリンポスの神々さえも手玉に取るテッサリア王の息子シシュポスは、ゼウスの怒りに触れ、巨大な岩を山の頂上へ運び上げる作業を命ぜられる。苦労して頂に置かれた岩は、自重で転がり落ち元の位置にまで戻る。シシュポスは、再び岩を運び上げる...という作業...永遠に終わることのない同じ作業の繰り返しなのだ。これが「シシュポスの岩」である。
アルベール・カミュはこれを書いた。それが「シジフォスの神話(1942年)」。
アルベール・カミュといえば「異邦人(1942年)」や「ペスト(1947年)」が有名だ。この世の中の不条理を描いているが、そこに登場する人物は不条理の中で埋没しない。不条理の中でも自身の意思を持つ自由を持っている。
「シシュポスの岩」を運び続けるシシュポスは、ある意味、究極の不条理下にある。そんなシシュポスでさえ自分の意志を自由にもてるのだから...と。
◆シシュポスでググってみる
アルベール・カミュ(Albert Camus/1913.11.7〜1960.1.4)アルジェリア生まれのフランスの小説家。
1957年にはノーベル文学賞を受賞している。1960年、自動車事故で亡くなっている。
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青い鳥/メーテルリンク [ 本の部屋]
チルチルとミチルの兄妹が、幸福の象徴である青い鳥を探して、いろいろな国(暗い森や...)を冒険するが、実は「青い鳥」は自分の家の鳥籠の中にいた...というお話で、「だから、幸せは遠くではなくて、自分の身近にあるんだよ...」と聞かされてきた。私もそのようなイメージで、いろいろある童話の一つのように捉えていた。
学生時代に機会があって、ちゃんとした(子供向けではない)本で読んでみると、それまでの「幸せは...」とは、また違った印象を持った。
青い鳥を探しあぐねた二人は、自分の家に戻る前に、最後の国「これから生まれてくる赤ちゃんの国(だったかな?)」を訪れる。そこで赤ちゃんは手に持った袋に一つ、地上に持っていくものを詰めている。様々な未来を詰め込む赤ちゃんたちに混じって、「病気」や「死」を詰め込む赤ちゃんもいた。理由を尋ねるチルチルとミチルに対して、それが意味あることを説明する赤ちゃん...これは童話なんかではなく、今、私が読まなければならない本なのだと、やっとわかった。
モーリス・ポリドール・マリ・ベルナール・メーテルリンク伯(Count Maurice Polydore Marie Bernard Maeterlinck/1862.8.29〜1949.5.6)ベルギーの詩人、劇作家、随筆家。
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古寺巡礼/和辻哲郎 [ 本の部屋]
その和辻哲郎が若いときに奈良を訪れ書いたのが「古寺巡礼」。さらに瑞々しい感性が、そこにはある。
法隆寺や薬師寺は、誰もが訪れたことがあると思うが、この本に触れた後、再び訪れると、それらの前から立ち去ることができなくなる。
和辻哲郎の思索の原点はここにあったのではないだろうか?
◆「風土」に関する記事
http://room7.blog.so-net.ne.jp/2005-06-12-1
和辻哲郎(わつじ てつろう/1889.3.1〜1960.12.26)日本の哲学者、倫理学者、文化史家、日本思想史家。その倫理学の体系は、和辻倫理学と呼ばれる。(http://ja.wikipedia.org/wiki/和辻哲郎)
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奈良のたからもの―まほろばの美ガイド (集英社be文庫 いC 67)
- 作者: 石村 由起子
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2007/02
- メディア: 単行本
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ゴールデンウィーク...黄金三角 [ 本の部屋]
黄金三角といっても、黄金の三角地帯のことではない。「アルセーヌ・ルパン」シリーズの「黄金三角(Le triangle d'or/1917年)」のこと。
モーリス・ルブランが最初に「アルセーヌ・ルパン」を登場させたのは、1905年。アルセーヌ・ルパンは1874年生まれという設定なので、「怪盗紳士ルパン」時代は20代の若々しいルパンの活躍を描いている。その後、「ルパン対ホームズ(後に著作権の問題でホームズの名前を変更)(1906〜1908年)」時代を経て、1917年に発表された「黄金三角」では、戦争帰りのドン・ルイスという役柄で、主役は若い2人に譲って、この2人を助けるというとてもいい人。ぜんぜん怪盗ではない役となっています。
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博士の愛した数式/小川洋子 [ 本の部屋]
小説を読む習慣を失って久しく、これを原作にした映画がヒットしているのを横目で見ながらも...とうとう読む時期を失していた。
それが最近、藤原正彦の「国家の品格」を読み(これも随分と遅ればせ!)、それが縁で(「博士の愛した数学」を書く際、小川洋子は数学者・藤原正彦にインタビューをしている。文庫本のあとがきに、藤原正彦がその時の様子を懐かしげに書いている)、「博士の愛した数学」に辿り着くことができたというわけだ。
これは上質な恋愛小説なのだろうか? 小川洋子の文章は、直接感情を表現する変りに、物に接する際の人の仕草を使って感情を伝える。それが、上着の袖であったり背中であったり、あるいは数字や数式であったり。
昔、利休という人がいて、彼は少し大きめの黒い服を着て(黒子のように、しかし指先だけは見えている)、自分の仕草を増幅して(もちろん、あることを相手に伝えるために)、お茶をすすめたという。
大げさでなく、木の葉が揺れるような仕草であっても、感情は伝えることができる...という日本の伝統を感じさせる文章でした。
なんにしても、小川洋子の文章が、80分しか記憶を保てない数学博士を、最もロマンティックな主人公にしていることは間違いない。
本題からは逸れているかもしれませんが、本の内容は皆さん知っているでしょうし...。
「博士の愛した数式」に登場する数学者のモデル、ポール・エルデシュというハンガリー出身の数学者の名前が挙がっている。彼は多くの数学者とコラボレートし、生涯に1500編もの論文を共著という形で残している。また、1日に19時間は数学のことを考えていたという。ポール・ホフマン が「放浪の天才数学者エルデシュ」という伝記を書いているそうだ。
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My Brain is Open―20世紀数学界の異才ポール・エルデシュ放浪記
- 作者: ブルース シェクター
- 出版社/メーカー: 共立出版
- 発売日: 2003/09
- メディア: 単行本
再び満月...ミヒャエル・エンデの満月の夜の伝説 [ 本の部屋]
今日は再び満月です。月の出:17:42 / 月の入:05:21。今現在も東の空にきれいに見えています。
今日の「満月」は...
ミヒャエル・エンデがこんな本を書いているようです(私は読んでいません)。
ミヒャエル・エンデといえば、「モモ」ですが、「モモ」を読んだ方は多いと思います(家にも1冊あります)。結構影響を受けた...という話も聞きます。
あと...「ネバー・エンディング・ストーリー」という映画もありました(原作はエンデの「はてしない物語」。いろいろトラブルに見舞われた映画となりましたが...)。
そんなミヒャエル・エンデ(Michael Ende,/1929.11.12〜1995.8.29)ドイツの児童文学作家。
日本との関わりも深く、1977年に日本を訪問しており、また、「はてしない物語」の映画化の際には黒澤明を監督に指名したかったようです。最初の妻インゲボルク・ホフマンと死別した後、「はてしない物語」を翻訳した佐藤真理子と結婚しています。
ミヒャエル・エンデ館
http://www.fsinet.or.jp/%7Enecoco/ende.htm
モモ―時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語 (岩波少年少女の本 37)
- 作者: ミヒャエル・エンデ
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1976/09
- メディア: 単行本
◆ミヒャエル・エンデのその他の作品
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月齢0、新月...朔/萩原朔太郎 [ 本の部屋]
今夜は月齢0、新月...朔(さく)ともいう。
「朔」といったら朔太郎。
萩原朔太郎(はぎわら さくたろう/1886.11.1〜1942.5.11)大正・昭和期の詩人、作家。
悲しい月夜
ぬすつと犬めが、
くさつた波止場の月に吠えてゐる。
たましひが耳をすますと、
陰気くさい声をして、
黄いろい娘たちが合唱してゐる、
合唱してゐる。
波止場のくらい石垣で。
いつも、
なぜおれはこれなんだ、
犬よ、
青白いふしあはせの犬よ。
残念ながら、今夜は月が出ていないので、ふしあはせの犬も吠えない。
世界の中心で、愛をさけぶの主人公の名前はこの朔太郎から名付けられたそうな(http://ja.wikipedia.org/wiki/萩原朔太郎)
萩原朔太郎記念 水と緑と詩のまち前橋文学館
http://www15.wind.ne.jp/~mae-bun/index.html
青空文庫で萩原朔太郎を読むなら
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person67.html
◆萩原朔太郎でググってみる
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二十三日月は弦月/椿説弓張月 [ 本の部屋]
二十三日月は、半月、下弦の月。弦月(げんげつ)、弓張り月ともいう。これは見たまんま。月の出は、00:51。ほとんど夜中の1時。
弓張り月というと...「椿説弓張月」?
滝沢馬琴の作で、葛飾北斎(馬琴の家に居候していたほどの名コンビ)の挿絵が入った本。滝沢馬琴お得意の勧善懲悪の伝奇物語となっている。
「椿説弓張月」を読んだことがなくても、「南総里見八犬伝」を知っている人は多いのではないだろうか。まあ、あんな感じのお話である。(「南総里見八犬伝」は、「椿説弓張月」が成功した後に書かれているので、「南総里見八犬伝」の原型とも言えるかもしれない。)
主人公は鎮西八郎為朝(源為朝:彼は弓の名人)。保元の乱で破れた後、琉球で大活躍...という、今でいうスーパーヒーロー物...そのものである。
三島由紀夫が歌舞伎に仕立てているが、そちらの方は読んでいない。
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居待月...座って何を? 月の本を読む? [ 本の部屋]
十八日月、居待月(いまちづき):なかなか出てこないので、座って本でも読みながら(あるいはDVDを見ながら)待つ...月のこと。今日の月の出は20:53 。9時近い。
今月の月の様子は、JAXAの「月探査情報ステーション」を参考に。
http://moon.jaxa.jp/common/cgi/moonage_calendar.cgi
SFの古典とも言うべきジュール・ベルヌの「月世界旅行(De la Terre à la Lune/1865年)」。
SFの天才、H.G.ウェルズの「月世界最初の人間(The First Men in the Moon/1901年)」
映画黎明期のジョルジュ・メリエスの「月世界旅行(Le Voyage dans la Lune/1902年)」。
「メトロポリス」で有名なフリッツ・ラングの「月世界の女(Frau im Mond/1928年)」
月の光が、才能を引き寄せるのか。
フリッツ・ラング コレクション 月世界の女 クリティカル・エディション
- 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
- 発売日: 2007/05/26
- メディア: DVD
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堀口大学のフランス/月下の一群 [ 本の部屋]
昨日のジャン・コクトーとギョーム・アポリネールにちなんで...。
私がこの2人を知ったのは、堀口大学(1892.1.8〜1981.3.15)の「月下の一群」という訳詩集。
まず、タイトルがカッコいい。「月下の一群」である。「月下」も「一群」もその言葉一つで、情景を思い浮かべることができるのだが、その二つが連なって「月下の一群」となると...これはもう究極のタイトルなのではないか...読むしかない(と、当時の私は思った)。
コクトーやアポリネール以外にも、ヴェルレーヌやランボーなんかの詩も訳されていて、近代フランスの香りが充満した1冊なのかもしれない。それでいて、訳には無理がなく、美しい日本語が並んでいた。そんな中、心引かれた幾つかに、コクトーとアポリネールもあった。
耳(ジャン・コクトー)
私の耳は 貝の殻 海の響を懐かしむ
ミラボー橋(ギョーム・アポリネール)
ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ
われ等の恋が流れる
わたしは思ひ出す
悩みのあとには楽しみが来ると
日も暮れよ 鐘も鳴れ
月日は流れ わたしは残る
手と手をつなぎ顔と顔を向け合はう
かうしてゐると
われ等の腕の橋の下を
疲れた無窮の時が流れる
日も暮れよ 鐘も鳴れ
月日は流れ わたしは残る
流れる水のやうに恋も死んでゆく
恋もまた死んでゆく
生命ばかりが長く
希望ばかりが大きい
日も暮れよ 鐘も鳴れ
月日は流れ わたしは残る
日が去り月が行き
過ぎた時も
昔の恋もふたたびは帰らない
ミラボー橋の下をセーヌ河が流れる
日も暮れよ 鐘も鳴れ
月日は流れ わたしは残る
海外からの文化が一気に押し寄せた明治・大正の頃は、そうした新しい事柄や思想に対応するために、多くの日本語が生み出された。たとえば、”建築” といった味気ない言葉もその時の産物だ。
文学においても、もちろんこうした”新しい日本語”は、作られていっただろうし、特に、その言葉の持つ感性を、如何に日本語化するか...といったことは、大きな問題であったに違いない。
そういう意味において、「月下の一群」というタイトルを持つこの訳詩集は、単なる訳に留まらない、彼自身の文学作品ともなっている。
外交官の父親に付いて、青年期に色々な国での生活経験のある堀口大学は、当時の日本人としては珍しい体験をしている。与謝野鉄幹に弟子入りし、与謝野晶子を敬愛し、マリー・ローランサンをはじめとするフランスの同時代の文学者や芸術家とも友人関係にあったという。
しかし、堀口大学のフランスはもっと多様である。
メーテルリンクにサン=テグジュペリ、 モーリス・ルブランの「怪盗ルパン」も訳してもいる。こうした訳書を並べてみた時、彼は、どんな思いで、訳していたのだろうか?...と考えたりもする。
もちろん、歌人であり詩人でもあるから歌集や詩集も出している。
いずれにせよ、私にとっての最初のフランスは、堀口大学のフランスであった。
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