タンタンとドドッシュ [ 本の部屋]
タンタン(tintin)を知ったのは、シトロエン 2CV のカタログに登場した時だが、その内容を知るのは、子供のために図書館で本を借りた時となる。
もっとも、子供以上に興味を示したのは私で、その後数冊借りることになる。クラシカルなギャグと荒唐無稽の展開は、なんとなく心穏やかになれる(それは作者の意図とは違うか?)。
ちなみに、ドドッシュとは2CVの愛称である。
エルジェ(Hergé/1907.5.22〜1983.3.3)ベルギーの漫画家。代表作『タンタンの冒険旅行』(Les aventures de Tintin)の作者として知られる。他にも「クックとプッケ」(Quick et Flupke)シリーズなどの作品を描いている。本名はジョルジュ・レミ(Georges Remi)。エルジェというペンネームは本名のイニシャルGRを逆さにしたRGをフランス語読みした音「エルジェ」に「Hergé」の文字を当てたもの。(http://ja.wikipedia.org/wiki/エルジェ)
TINTIN フィギュアコレクション タンタンの冒険旅行 アメリカ #2
- 出版社/メーカー: ビーグル
- メディア: おもちゃ&ホビー
TINTIN フィギュアコレクション タンタンの冒険旅行 コンゴ #1
- 出版社/メーカー: ビーグル
- メディア: おもちゃ&ホビー
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ハロルド・ピンター氏が死去 [ 本の部屋]
ハロルド・ピンター氏が死去
ハロルド・ピンター(Harold Pinter/1930.10.10〜2008.12.24)イギリスの劇作家・詩人・脚本家。2005年にノーベル文学賞を受賞している。
反戦思想の持ち主で、ユーゴスラビア空爆、アフガニスタン空爆、イラク侵攻、アメリカのニカラグア・チリ・キューバなどへの侵略等を批判。
ケネス・ブラナーが監督し、マイケル・ケインとジュード・ロウが対決した「スルース」では、脚本を担当(http://room7.blog.so-net.ne.jp/2008-03-18)。
ご冥福をお祈りします。
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ハロルド・ピンター(Harold Pinter/1930.10.10〜2008.12.24)イギリスの劇作家・詩人・脚本家。2005年にノーベル文学賞を受賞している。
反戦思想の持ち主で、ユーゴスラビア空爆、アフガニスタン空爆、イラク侵攻、アメリカのニカラグア・チリ・キューバなどへの侵略等を批判。
ケネス・ブラナーが監督し、マイケル・ケインとジュード・ロウが対決した「スルース」では、脚本を担当(http://room7.blog.so-net.ne.jp/2008-03-18)。
ご冥福をお祈りします。
何も起こりはしなかった―劇の言葉、政治の言葉 (集英社新書)
- 作者: ハロルド ピンター
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2007/03
- メディア: 新書
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風の博物誌/ライアル・ワトソン [ 本の部屋]
「スーパー・ネイチャー」のライアル・ワトソン。今年の6月に亡くなったのは記憶に新しい。
ライアル・ワトソンが「風」について語る。地球のあらゆる風が、この本に詰まっている。地球の風ばかりではない、宇宙の風についても。
彼の博識の文章は、読んでいるだけで心が躍るし、脳内のシノプスがざわめきだす。
例えば、こんな一節...「太陽系の巨人である木星。木星の質量は他のすべての惑星の質量を合わせたものの2倍以上あるが、固体はわずかだ。むしろそれは、小さな鉄分の核をもつ液体水素の巨大な滴である。ほとんどが大気で、惑星そのものの実体はほとんど無に等しいと言っても過言ではない。もし固体表面があったとしての話だが、表面圧力は地球の1気圧の6000万倍になる。密閉された鉄鋼製の円筒形のブロックでも卵の殻のように簡単に割ってしまうほどの高圧だ。」
または、こんな一節...「この層が太陽エネルギーを吸収するため、成層圏は予想外の高温になっている。オゾン濃度がもっとも高い部分では温度は摂氏30度以上にも昇るが、これはほとんどの地域の暑い夏の日中の海面レベルの温度より高い。」
物を知り、それを語るということは、どんなに素晴らしいことだろう。
ライアル・ワトソンは、そうした知識を体で感じるために、ボートで暮らしていた。世界に対してしっかりと覚醒している状態を保ち、地球の一員でとして参加したかった...という思いから。
ライアル・ワトソン(Lyall Watson/1939.4.12〜2008.6.25)モザンビーク生まれのイギリスの生命科学者・動物学者。
超常現象を含む科学の水際をフィールドワークとして「新自然学」の確立を目指す。『アフリカの白い魔術師』で注目され、中でも『スーパーネイチュア』は世界的なベストセラーとなり、1980年代の世界的なニューサイエンス(ニューエイジサイエンス)の流行の旗手となった。(http://ja.wikipedia.org/wiki/ライアル・ワトソン)
◆ライアル・ワトソンの著作を検索
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ライアル・ワトソンが「風」について語る。地球のあらゆる風が、この本に詰まっている。地球の風ばかりではない、宇宙の風についても。
彼の博識の文章は、読んでいるだけで心が躍るし、脳内のシノプスがざわめきだす。
例えば、こんな一節...「太陽系の巨人である木星。木星の質量は他のすべての惑星の質量を合わせたものの2倍以上あるが、固体はわずかだ。むしろそれは、小さな鉄分の核をもつ液体水素の巨大な滴である。ほとんどが大気で、惑星そのものの実体はほとんど無に等しいと言っても過言ではない。もし固体表面があったとしての話だが、表面圧力は地球の1気圧の6000万倍になる。密閉された鉄鋼製の円筒形のブロックでも卵の殻のように簡単に割ってしまうほどの高圧だ。」
または、こんな一節...「この層が太陽エネルギーを吸収するため、成層圏は予想外の高温になっている。オゾン濃度がもっとも高い部分では温度は摂氏30度以上にも昇るが、これはほとんどの地域の暑い夏の日中の海面レベルの温度より高い。」
物を知り、それを語るということは、どんなに素晴らしいことだろう。
ライアル・ワトソンは、そうした知識を体で感じるために、ボートで暮らしていた。世界に対してしっかりと覚醒している状態を保ち、地球の一員でとして参加したかった...という思いから。
ライアル・ワトソン(Lyall Watson/1939.4.12〜2008.6.25)モザンビーク生まれのイギリスの生命科学者・動物学者。
超常現象を含む科学の水際をフィールドワークとして「新自然学」の確立を目指す。『アフリカの白い魔術師』で注目され、中でも『スーパーネイチュア』は世界的なベストセラーとなり、1980年代の世界的なニューサイエンス(ニューエイジサイエンス)の流行の旗手となった。(http://ja.wikipedia.org/wiki/ライアル・ワトソン)
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日本の神々/谷川 健一 [ 本の部屋]
今、私たちが「神」と理解しているものは、かつてはもっと流動的で、祖霊(タマ)や妖怪(モノ)と呼ばれていたようだ。自然も死ももっと身近で、今、実際目の前に見えている世界の中で完結していた。
「日本の神々」の”はじめに”は、「戦後の日本人が神々のことをかえりみなくなった頃、私は民俗学を通して、日本人の信仰の原型を追求することをはじめた。戦時中の狂熱的な神がかりを最も嫌悪し忌避していた私が、戦後になって日本の神の発見を志したというのは、まさに時代に逆行しているように見えるかも知れない。しかしそれは私にとって必然的な道程であった。私の戦後史は、一日本人が日本に最接近しようとして模索をつづけた、たどたどしい軌跡である。」で結ばれている。
谷川 健一(たにがわ けんいち/1921.7.28〜 )民俗学者、地名学者、作家。
平凡社の編集者として、『風土記日本』(1957 - 60年)、『日本残酷物語』(1959 - 61年)などを企画編集し、1963年創刊の『太陽』初代編集長を務める。
その後執筆活動に入り、1966年、『最後の攘夷党』で直木賞候補になる。1970年代には『青銅の神の足跡』や『鍛冶屋の母』などを発表し、民俗事象と文献資料に独自の分析を加え、柳田國男や折口信夫らを批判的に展開させた。柳田の提唱した「日本民俗学」がのち組織化が進み善かれ悪しかれ学術化、専門科学化していったのに対し、谷川は、在野精神を貫き学会と距離をとった独自の執筆活動を進めた。日本史の網野善彦、文化人類学の大林太良、民俗学の宮田登、考古学の森浩一らと共同編集した『海と列島文化』(全10巻、小学館)は日本像を決定的に変革した金字塔となった。(http://ja.wikipedia.org/wiki/谷川健一)
◆谷川健一の作品を検索
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「日本の神々」の”はじめに”は、「戦後の日本人が神々のことをかえりみなくなった頃、私は民俗学を通して、日本人の信仰の原型を追求することをはじめた。戦時中の狂熱的な神がかりを最も嫌悪し忌避していた私が、戦後になって日本の神の発見を志したというのは、まさに時代に逆行しているように見えるかも知れない。しかしそれは私にとって必然的な道程であった。私の戦後史は、一日本人が日本に最接近しようとして模索をつづけた、たどたどしい軌跡である。」で結ばれている。
谷川 健一(たにがわ けんいち/1921.7.28〜 )民俗学者、地名学者、作家。
平凡社の編集者として、『風土記日本』(1957 - 60年)、『日本残酷物語』(1959 - 61年)などを企画編集し、1963年創刊の『太陽』初代編集長を務める。
その後執筆活動に入り、1966年、『最後の攘夷党』で直木賞候補になる。1970年代には『青銅の神の足跡』や『鍛冶屋の母』などを発表し、民俗事象と文献資料に独自の分析を加え、柳田國男や折口信夫らを批判的に展開させた。柳田の提唱した「日本民俗学」がのち組織化が進み善かれ悪しかれ学術化、専門科学化していったのに対し、谷川は、在野精神を貫き学会と距離をとった独自の執筆活動を進めた。日本史の網野善彦、文化人類学の大林太良、民俗学の宮田登、考古学の森浩一らと共同編集した『海と列島文化』(全10巻、小学館)は日本像を決定的に変革した金字塔となった。(http://ja.wikipedia.org/wiki/谷川健一)
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1001番目はアラビアン・ナイト [ 本の部屋]
今日は1001番目の記事なので、アラビアン・ナイト(千夜一夜物語)。
「千夜一夜物語」...中世イスラム世界で形成されたアラビア語の説話集。
奥さんの浮気が原因で、女性不振に陥り、その後ベッドを共にする女性を毎夜殺してしまう王様(殺害した女性が3000人)。その王様の病気(?)治療のため(これ以上の被害者をださないため)、身分を隠し夜伽の相手に成り済ます大臣の娘、シェヘラザード。
シェヘラザードのお話の最後の「明日のお話は、今日のよりもっと面白いです...。」という言葉のために、彼女を殺すことをためらい続けて1000日と1日。王様は、ついに彼女を殺すことなく妃に迎える。病気は完治したのだろう。
2年半以上、1人の人間を(それも、あらゆるものを簡単に手に入れることのできる地位の人間を)満足させ続けることがどんなに困難なことか...というところに、この物語の意気込みがうかがえる。
シェヘラザードは勿論実在しないが、そのモデルになった妃はいるらしい。アッバース朝第5代カリフ、ハールーン・アッラシード(Hārūn al-Rashīd/766〜809/在位786〜 809)の母、ハイズラーンがシェヘラザードのモデルであるといわれる。ハールーン・アッラシードの頃、アッバース朝は最盛期を迎え、「千夜一夜物語」もこの時代を描いたものといわれる。
18世紀初頭にフランスで発見され、ヨーロッパで翻訳されたものを、日本後訳されたものを、今の私たちは読んでいる。
イスラムの世界には、数多くのロマンティックな物語が存在するという。王や剣が登場するそうした夢物語を、イスラムの子供たちは、母親やお祖母ちゃんに夜伽話として聞いて育つそうだ(日本の桃太郎や竹取物語のように)。
夜伽話をせがむようになった子供が、その世界から卒業するのに何年かかるか知らないが、2年9ヶ月分の物語は十分に確保されているとも考えられる。
しかし、現在、私たちは、そうした「千夜一夜物語」のオリジナルとなる物語を、よくは知らないでいる。
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「千夜一夜物語」...中世イスラム世界で形成されたアラビア語の説話集。
奥さんの浮気が原因で、女性不振に陥り、その後ベッドを共にする女性を毎夜殺してしまう王様(殺害した女性が3000人)。その王様の病気(?)治療のため(これ以上の被害者をださないため)、身分を隠し夜伽の相手に成り済ます大臣の娘、シェヘラザード。
シェヘラザードのお話の最後の「明日のお話は、今日のよりもっと面白いです...。」という言葉のために、彼女を殺すことをためらい続けて1000日と1日。王様は、ついに彼女を殺すことなく妃に迎える。病気は完治したのだろう。
2年半以上、1人の人間を(それも、あらゆるものを簡単に手に入れることのできる地位の人間を)満足させ続けることがどんなに困難なことか...というところに、この物語の意気込みがうかがえる。
シェヘラザードは勿論実在しないが、そのモデルになった妃はいるらしい。アッバース朝第5代カリフ、ハールーン・アッラシード(Hārūn al-Rashīd/766〜809/在位786〜 809)の母、ハイズラーンがシェヘラザードのモデルであるといわれる。ハールーン・アッラシードの頃、アッバース朝は最盛期を迎え、「千夜一夜物語」もこの時代を描いたものといわれる。
18世紀初頭にフランスで発見され、ヨーロッパで翻訳されたものを、日本後訳されたものを、今の私たちは読んでいる。
イスラムの世界には、数多くのロマンティックな物語が存在するという。王や剣が登場するそうした夢物語を、イスラムの子供たちは、母親やお祖母ちゃんに夜伽話として聞いて育つそうだ(日本の桃太郎や竹取物語のように)。
夜伽話をせがむようになった子供が、その世界から卒業するのに何年かかるか知らないが、2年9ヶ月分の物語は十分に確保されているとも考えられる。
しかし、現在、私たちは、そうした「千夜一夜物語」のオリジナルとなる物語を、よくは知らないでいる。
バートン版 千夜一夜物語 第1巻 シャーラザットの初夜 (ちくま文庫)
- 作者:
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2003/10/13
- メディア: 文庫
虫プロ・アニメラマDVD 千夜一夜物語/クレオパトラ/哀しみのベラドンナ
- 出版社/メーカー: コロムビアミュージックエンタテインメント
- メディア: DVD
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レヴィ=ストロース、100歳おめでとうございます。 [ 本の部屋]
今日、11月28日は、レヴィ=ストロースの誕生日。ちょうど100歳になった。今でも本を書いているという。昔1冊だけ読んだ。
クロード・ギュスタヴ・レヴィ=ストロース(Claude Gustave Lévi-Strauss/1908.11.28〜 )フランスの社会人類学者、思想家。
◆レヴィ=ストロース関係の本を検索
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クロード・ギュスタヴ・レヴィ=ストロース(Claude Gustave Lévi-Strauss/1908.11.28〜 )フランスの社会人類学者、思想家。
◆レヴィ=ストロース関係の本を検索
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英博物館でダーウィン生誕200年記念展 [ 本の部屋]
【11月14日 AFP】英ロンドン(London)の自然史博物館(Natural History Museum)で14日より、進化論を唱えた英国人学者チャールズ・ダーウィン(Charles Darwin)の生誕200年を記念する大規模な特別展「Darwin Big Idea Big Exhibition」が開催される。2009年2月はダーウィン生誕200周年にあたることから、同国各地では「ダーウィン200(Darwin200)」と題する国家プロジェクトの一環としてさまざまな記念行事が行われ、ダーウィンの学説が世界に与えた衝撃や及ぼした影響など、その功績をたたえる。特別展はその中でも目玉とされるもの。会期は来年4月19月まで。(c)AFP
この写真が気になったので、「AFP BB News」の記事から取り上げてみました。一番下の頭蓋骨は「ルーシー」だろうか?
◆ルーシーの記事
http://room7.blog.so-net.ne.jp/2008-11-02
チャールズ・ロバート・ダーウィン(Charles Robert Darwin/1809.2.12〜1882.4.19)イギリスの自然科学者。進化論を提唱。(写真は30歳ぐらいのもの。髭がない。)
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ガイアの思想/ ジェームズ・ラブロック [ 本の部屋]
今では「ガイア」という言葉は、小学生でも知っているが(車の名前になっているぐらいだから...TV番組のタイトルにもなっているし...ウルトラマンにも...)、この「ガイア」という言葉を知ったのは、1980年代ジェームズ・ラブロックの「地球生命圏―ガイアの科学」だった。
もちろん「ガイア」という言葉を”この世”に持ち込んだのは、 ジェームズ・ラブロックなのだからあたりまえのことなのだ。
この本で、今でも印象に残っているのは「地球の持つ自立性(自浄作用)」と「大気にとっての生物(人間)の存在理由」で、地球の大気の歴史を調べていた ジェームズ・ラブロックは、細かなデータを示しながら、目から鱗を剥いでいってくれた。
ジェームズ・ラブロック(James Lovelock/1919.7.26〜 )イギリスの科学者。ガイア理論の提唱者として有名。
◆ ジェームズ・ラブロックの2007年10月29日の講演「Climate change on the living Earth」1時間5分、英語のビデオです。
http://video.google.com/videoplay?docid=-980700582829425063
◆「ガイアの思想」の大元を知りたいのなら、これに勝るものはない。
◆ジェームズ・ラブロックの作品を検索
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もちろん「ガイア」という言葉を”この世”に持ち込んだのは、 ジェームズ・ラブロックなのだからあたりまえのことなのだ。
この本で、今でも印象に残っているのは「地球の持つ自立性(自浄作用)」と「大気にとっての生物(人間)の存在理由」で、地球の大気の歴史を調べていた ジェームズ・ラブロックは、細かなデータを示しながら、目から鱗を剥いでいってくれた。
ジェームズ・ラブロック(James Lovelock/1919.7.26〜 )イギリスの科学者。ガイア理論の提唱者として有名。
◆ ジェームズ・ラブロックの2007年10月29日の講演「Climate change on the living Earth」1時間5分、英語のビデオです。
http://video.google.com/videoplay?docid=-980700582829425063
◆「ガイアの思想」の大元を知りたいのなら、これに勝るものはない。
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あおくんときいろちゃんと平行植物/レオ・レオニ [ 本の部屋]
はじめて「あおくんときいろちゃん」を手にした時、それまでにない新鮮な絵本であることを感じた。あれほど少ない情報から、あれほど心に残るお話が作られているとは...一つの究極ではではなかろうか。
それからしばらくして「平行植物」を読むことになる。大人の絵本?
レオ・レオニ(Leo Lionni/1910.5.5〜1999.10.11)オランダの生まれのイタリア・アメリカの児童文学者、作家、デザイナー、アーティスト。
「あおくんときいろちゃん」や「スイミー」などで、絵本作家として有名なレオ・レオニだが、実はもっと多才な面を持つアーティストだ。
オリベッティ・アメリカ(Olivetti Corporation of America )のデザインディレクター、フォーチュン誌(Fortune magazine)のアートディレクターを勤め、アスペンデザイン会議の共同設立者でもあり、エディターとしての仕事もしている。
例えば、MoMA(近代美術館)のために「The Family of Man(世界的な写真家たちが参加した写真展)」の展示と出版物、UNESCOやアメリカ癌学会のポスターのデザインをしている。
未来派芸術の継承者として、絵画や彫刻作品も残している。
そうした様々な経験の後、孫と遊びながら色紙をちぎって話した「あおくんときいろちゃん( Little Blue and Little Yellow)」が発表されるのは1959年のことだ。
「平行植物」は楽しい。様々な空想上の植物に、それに相応しい! 名前がつけられていて、飽きることがない。やはり、これは、大人のための絵本なのだろう。
◆レオ・レオニの作品を検索
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それからしばらくして「平行植物」を読むことになる。大人の絵本?
レオ・レオニ(Leo Lionni/1910.5.5〜1999.10.11)オランダの生まれのイタリア・アメリカの児童文学者、作家、デザイナー、アーティスト。
「あおくんときいろちゃん」や「スイミー」などで、絵本作家として有名なレオ・レオニだが、実はもっと多才な面を持つアーティストだ。
オリベッティ・アメリカ(Olivetti Corporation of America )のデザインディレクター、フォーチュン誌(Fortune magazine)のアートディレクターを勤め、アスペンデザイン会議の共同設立者でもあり、エディターとしての仕事もしている。
例えば、MoMA(近代美術館)のために「The Family of Man(世界的な写真家たちが参加した写真展)」の展示と出版物、UNESCOやアメリカ癌学会のポスターのデザインをしている。
未来派芸術の継承者として、絵画や彫刻作品も残している。
そうした様々な経験の後、孫と遊びながら色紙をちぎって話した「あおくんときいろちゃん( Little Blue and Little Yellow)」が発表されるのは1959年のことだ。
「平行植物」は楽しい。様々な空想上の植物に、それに相応しい! 名前がつけられていて、飽きることがない。やはり、これは、大人のための絵本なのだろう。
◆レオ・レオニの作品を検索
アレクサンダとぜんまいねずみ―ともだちをみつけたねずみのはなし
- 作者: レオ・レオニ
- 出版社/メーカー: 好学社
- 発売日: 1975/01
- メディア: -
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今日は満月...山月記/中島敦 [ 本の部屋]
今日の満月は、山月記。中島敦が書いたの短編小説で、大いなる望みを抱いた才能ある若者が、挫折し、人を食らう化け物になってしまう物語。中国の本を元にして書かれているというが。
中島 敦(なかじま あつし/1909.5.5〜1942.12.4)日本の小説家。
1909年5月5日 東京府東京市四谷区箪笥町(現東京都新宿区三栄町)で漢文教師、中島田人の長男として生まれる。
1933年3月 東京帝国大学(現東京大学)国文学科を卒業。卒業論文は「耽美派の研究」。
1933年4月 私立横浜高等女学校(現横浜学園高等学校)に国語と英語の教師として赴任。
1941年6月28日 教職を辞し、パラオ南洋庁へ書記として赴任。
1942年 『古譚』『光と風と夢』を発表。12月4日気管支喘息で死去(享年33)。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/中島敦)
中島敦に関するwikipediaの年表は、これだけしかない。
人生最後の年に、文壇にデビュー。それも「山月記」のような作品を33歳で書いているということは、どういうことなのだろう。
◆青空文庫の「山月記」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/card624.html
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